第11話 元平の秘策 まぎれた脅威

午前8時10分。
悪魔のゲーム宣告を受けた後、出木杉の提案に乗ったクラスメートらは、I―5地点に位置する海の家に集まっていた。
10年ほど前に倒産したらしい大手ビール会社の看板が、異臭漂う木製のカウンターの下に張ってある。名の知らないタレントが、歯を光らせて笑っている。
その後ろには、客席であったらしい横長テーブルと長いすが雑に並んでいる。茶色い埃や砂がぽつぽつとこびりついている。
海の家に集まったクラスメートらはその長いすらに腰をかけ、出木杉を待っていた。


「おっせーなあ、出木杉の奴」
薄汚れた木造の長いすに腰掛けている片倉三郎(男子5番)が、大きなあくびをひとつし、そう言った。
「もう8時過ぎたってのに、どこで油売ってんだか」
浦成和雄(男子3番)は両腕を組みながら、落ち着かないように片倉が座っている長いすの周りを歩き回っている。
「もしかして出木杉の奴、道に迷ってんじゃねーの? ぷぷっ!」
カウンター近くに置いてあったらしいパイプいすに腰掛けている佐藤はる夫(男子9番)が笑った。
同時に男子達の笑いの波を切り裂くように、出木杉親衛隊隊長である小山田夏子(女子6番)が怒鳴り声をあげた。
「出木杉さんが道に迷うわけないでしょっ! あのダメ人間ののび太じゃないんだからっ!」
「そーよそーよっ!」
親衛隊隊員の井沢美香(女子2番)が後に続いた。
「じゃあ、どうして出木杉来ないんだよ!」
はる夫の隣に座っていた骨川スネ夫(男子18番)が、親衛隊に反撃に出た。
「そ、それはきっと……」
親衛隊の3人が口をつぐんだ。

「死んだんじゃねーの?」

屋内の隅にあったらしい長いすを1人で占領して寝ていたらしい鈴木茂人(男子10番)が、体を起こしながらそう言った。
一瞬にして屋内が静まり返った。ここに来たクラスメートのほとんどは、『出木杉が何とかしてくれる』、『出木杉がいれば安心だ』と考えてここへ来た。
しかし、その出木杉がすでにこの島のどこかで誰かに殺されていたとしたら――。茂人の一言は、クラスメートらの希望を大きく絶望に傾けた。
 川辺。なぜか、小屋に行ったはずの出木杉英才が倒れている。そして、まもなくピクリとも動かない頭から、血がどくどくと流れ――。
屋内の静寂が1分間ほど続いた後、クラスメートらは再び騒ぎ始めた。
「へ、変な冗談はよせよ茂人っ!」
「で、でも何で来ねーんだよ。もうとっくに8時過ぎてるし……」
「も、もし出木杉が来なかったら俺達どうなるんだよ……?」

「ふざけないでよっ!」

夏子がそう叫ぶと、再び屋内は静まり返った。夏子は茂人が座っている長いすまでやって来ると、強く言った。
「次そんなこと言ったら、私アンタ殺すから」
夏子は言い終わると同時に、親衛隊のいる長いすまで戻っていった。茂人は大きくあくびをすると、再び長いすに寝転がった。
それからのクラスメートらは、さっきまでのざわつきが嘘のように、私語が少なくなった。


それから少し時間が経ち、やがて午前9時をまわった。
「おい、もう9時過ぎたぞ……」
三郎が壁の高い位置にかけてあるアナログ時計を見て言った。時計は、ゆっくりと時を刻んでいる。しかし、クラスメート達は気が気でなかった。
「出木杉の奴、もしかしたら本当に――」
三郎の隣に座っている小戸誠人(男子4番)がそう言いかけたときだった。

「俺達、この小屋を出て行く」

カウンター近くのパイプいすに座っていたはる夫が立ち上がって言った。その隣で、スネ夫もセカンドバッグを右肩にかけて立ち上がって言った。
「方向オンチの安雄が心配になってさあ、それじゃ」
2人はそそくさと海の家の入り口であるアルミサッシを開き、まだ薄暗い森の中へと消えていった。
「それじゃあアタシもここ出るわ、洋子のこと心配だし」
高木美保(女子14番)がそう言って立ち上がるとすぐに、裏口近くの休憩ベンチに座っていた武藤美代子(女子21番)も立ち上がった。
「私もここ出るわ。静香を探しに行くの」
美保と美代子は開けっ放しのアルミサッシの間を通り抜け、砂浜の近くの茂みへと消えていった。
 出木杉親衛隊は、あえて何も言わなかった。というか、正直出て行くクラスメートの気が知れなかった。なんで、出木杉さんを信じられないの?
出て行った人は、間違いなく死ぬ。この島にいる、今までのクラスメートの中に、殺人鬼が居る。
その殺人鬼は、森を歩いている獲物を探し出し、どこまでも追いかけて少しずつ獲物に苦しみを与えていき、ころあいを計って、一気に止めをさす。
このときが、殺人鬼にとっての餌となる快感が得られる。誰でもいい、殺してやる! そういう人間が、間違いなくこの島にいる! 
 だったら、こっちにも考えがあるわ。その殺人鬼は、私達だけになら脅威なのかもしれない。でも、出木杉さんが居たら?
出木杉さんは、私達が信用できる、気を許せる唯一の男の子。男の子なんて、もったいない、そう、彼はこの荒んだ世界を救う救世主よ。
殺人鬼になんて負けないわ。 あぁ――出木杉さん! だから、早く、お願い!
 親衛隊隊長の夏子は、ぎゅっと握りこぶしをつくった。
4人のクラスメートが出ていった後、小屋の中は再び静寂に包まれた。しかし、その静寂も長くは続かなかった。
「きゃあああ! ゴキブリぃぃぃ!」
調理場の近くのパイプいすに座っていた牧野恵理香(女子18番)が悲鳴をあげた。戸手茂できる(男子14番)が素早く駆けつけた。
海の家に残っている他のクラスメートらも後に続いた。
「僕が来たからにはもう安心だよ牧野さん、ゴキブリはどこ?」
恵理香は調理場近くのパイプいすから5mくらい離れた長いすの影に、震えながらうずくまっていた。
 薄いピンクのジャンパーと薄いオレンジのスカートを、体育すわりしている足にかぶせていた。そして、その指先がどこかをさしている。
そして恵理香は口をこわばらせながら言った。
「う……え……」
できるはすぐさまに天井を見上げた。しかし、天井には汚れはペンキのはげた部分しか見当たらなかった。恵理香はさらに続けた。
「戸手茂君の……頭の上っ……!」
恵理香の視線が、できるの上に注がれた。
そこへ、クラスメートらが駆けつけた。次の瞬間、小屋の中は悲鳴と爆笑で包まれた。白目を向いたまま気絶しているできる。
できるの胸の上を這い回る5cmほどのゴキブリ。その30秒後、ゴキブリは矢部小路(男子20番)のフライパン殴打によって死亡した。
また、できるは白目を向いてた方が面白いということで、クラスメートらはそのままできるを放置をすることにした。そして、ゴキブリ騒動の5分後。


「今、この中で小屋を出て行きたい人はいるかい?」
今までずっと室内の隅であぐらをかいて黙っていた元平了(男子20番)が、カウンターに両手をついて言った。
私語をしていたクラスメートらは私語をやめ、思った。――いきなり何言い出したんだこいつは?」
「そうか、いないのか」
了はそう続けるとカウンターについていた両手を離し、カウンター周辺を歩き出した。
「おいおい、何勝手に話進めてんだよ」
三郎が長いすから立ち上がって言った。しかし了は、そんな三郎の言葉を無視し、話を進めた。
「これから、この海の家の進入口を封鎖したいと思うんだ」
「なによ、それ!」
夏子が怒りをあらわに立ち上がった。さらに、夏子と同じ親衛隊の伊藤加奈(女子4番)も続いた。
「そんなことしたら、出木杉さん入れないじゃないのっ!」
さらに、同じ親衛隊の美香も続いた。
「まさか、出木杉さんを小屋に入れない気!?」
「ふっざけんじゃないわよっ!」
夏子の怒りの叫びと共に、夏子、加奈、美香の3人は了の元に歩み寄った。鬼の形相で。秋田の、なまはげのような感じ。
「まあまあ落ち着いてよ。誰も進入口全部封鎖とは言ってないだろう?」
顔をこわばらせた了は少しずつ後退しながらそう言った。
「つまりどういうことよ?」
夏子が鬼の形相のまま了につっかかった。了はさらに後退しながら説明を始めた。
「海の家には外から人が入れそうな場所が六つあるんだよ。大きなアルミサッシの入り口が2つ。今僕たちがいる客席に窓が3つ。調理場の勝手口が1つ。
 このうちの、勝手口以外の場所を長いすやテーブルでふさぐんだ。つまり、勝手口からは人が、出木杉が入れるってこと」
「なーんだ、じゃあ出木杉さんは入れるのね」
「まぎらわしい言い方するんだから、まったく」
親衛隊3人は元にいた長いすへと帰っていった。了はほっと安心したかと思うと、次の瞬間へなへなと腰がぬけてしまった。
「でも、何でそんなことするんだよ?」
和雄が手を挙げて聞いた。
「外部からの敵を拒むためさ」
了はカウンターに右手をかけ、立ち上がりながらそう言った。
「外部からの敵?」
誠人は首をかしげた。敵。敵だって? 
「僕はここに来る前に、2回銃声を聞いた。1つは誰もが聞いたことのある、『バン!』て奴。そして、もうひとつは変な音だった。
「変な音? どんな?」
三郎はそう聞いて首をかしげた。
「タイプライターの早打ちのような感じだった」
「タイプライターって何だよ?」
三郎はまたも首をかしげた。了はため息をついて言った。
「そんなことはどうでもいいんだよ。それより、もうすでにこの島で5人が死んだんだ。
 この5人は、僕に聞こえた2つの銃声から、銃を支給された奴に殺された可能性が非常に高い。
 もし、この銃を支給された奴がこの小屋に来たらどうすると思う?」

「皆殺し……だろうな」
誠人はそう言うと、小屋の中に居た少年少女の体に震えが走った。そうだ、銃を持った奴が、すぐそこに来ていたとしたら?
「冗談じゃねえよ! 殺されてたまるか!」
三郎はそう叫びながら立ち上がった。
「そうだよ。ここにいるみんながそう思ってるはずだよ。だから、この海の家の勝手口以外の進入口を封鎖するんだよ」
了は力強くそう言った。
「でも、何で勝手口だけ開けとくんだ?」
和雄は首をかしげて聞いた。
「それは後で詳しく説明するよ」
了はそう言うと、近くに倒れていたパイプいすをたたみ、閉じているアルミサッシのレールに立てかけた。
「よ〜し、早速封鎖しようぜ! みんな〜手伝ってくれ〜!」
「じゃあ俺できる起こして来る!」
和雄は調理場へ向かって走っていった。
クラスメートらから少し離れた長いすに座っていたらしい、葉月勉(男子18番)が近くに転がっていたパイプいすをたたみ始めた。
矢部小路(男子20番)はこちらに歩み寄って、
「何をすればいいんだ?」
と聞いてきた。親衛隊の3人は協力して近くの窓まで長いすを運び始めた。しかし、そんな中で、
「俺だりーからパス」
と言ったのはさっきからずっと寝ていた茂人だった。
「はあ? 何言ってんだお前、死にたいのか?」
三郎が少し怒り気味に言った。
「おとといの試合で疲れてんだよ、マジで労働だけはカンベン」
茂人は目をこすりながらそう言った。
「今、手伝いたくない人はこの海の家から出て行ってくれないかな? その方が、お互いのためになると思うんだけど」
了は茂人をにらみつけてそう言った。
「はいはい、出て行きゃいいんだろ。出て行きゃ。」
茂人は大きなあくびをしてそう言うと、セカンドバッグを右肩にかけてまだ封鎖していないアルミサッシを開け、出て行った。
「じゃ、私もめんどくさいから出〜てこっと」
そう言ったのは、流行しゃれ子(女子17番)だった。セカンドバッグを右肩にかけると、そそくさと出て行った。
その数十秒後に、木村育代(女子10番)が何も言わずに出て行ったのには誰もが驚いた。
そしてまたその数十秒後、右肩にセカンドバッグをかけ、右手にGペンを握りながら渡辺五郎(男子21番)が出て行った。
海の家に残ったクラスメートらはこのとき初めて、五郎の存在に気がついた。
 あいつ、居たのか……。
 居たんだ……。
意外と素直に出て行ったのは有難かったが、これでこちらも人数が少なくなったということになる。


そして10分後、海の家に残ったクラスメートらは勝手口以外の進入経路を長いすやテーブルでふさいだ。
「よ〜し、ひと通り終わったな」
小路が額の汗を右手でぬぐった。
「みんな、今疲れてるようで悪いけど、これから勝手口の見張り番を決めようと思うんだ」
了はハンカチで額の汗をふきながら、そう言った。
「見張り番?」
誠人が首をかしげた。了が説明を続けた。
「唯一勝手口だけを封鎖しなかったのは、実はこのためだったんだ。
 勝手口のドアの外に立って、見張りをする。人の気配を感じたら、すぐに勝手口のドアの中に入って鍵を閉める。
 そして、みんなに報告して勝手口の前でみんなで武器を持ってかまえる……といったのが見張りの仕事だよ」
「なるほど。めちゃくちゃ怖いけど、みんなで敵を威嚇すれば怖くないかもな」
三郎がうなずいて言った。
 その後、人を発見したら見張りじゃなくても報告することや、誰がボディタッチをする等が決まった。
見張りのグループは、和雄、誠人、三郎の組とできる、勉組と了、小路組と夏子、加奈、美香、恵理香組に分かれた。
1組が見張る時間は30分ずつということも決まった。このとき海の家に残っていたクラスメートのほとんどは、30分程前の不安が安心に変わっていった。
 出木杉英才が来るまで、自分達はここで籠城(?)する。そうすれば、少なくとも森の中よりは安全だ。
自分たちなら生き残れる。この島から出ることができるかもしれないという、希望さえ持ち始めていた。

 しかし、それは海の家の中のクラスメート全員には当てはまらなかった。

「じゃあ最初は僕らが見張りをするよ」
勉はそう言って、できるに勝手口から出るように促した。
「そうか、じゃあ頼んだぜ」
三郎がそう言うと、勉とできる以外の海の家の中のクラスメート全員で勉とできるを見送った。
2人は勝手口のドアを開け、近くに誰もいないのを確認すると、ドアを閉め、勝手口のドアの外に座った。
「ったく、あいつら『見送り』だなんて大げさすぎるんだよなあ。外に30分出るだけなのに」
できるが口を震わせて言った。
「戸手茂君、武器出しておいたほうがいいんじゃない? 一応僕達見張りなんだから」
勉はそう言うと、セカンドバッグを探った。
「そ、そうだな」
できるもバッグを探り始めた。
「これ、防弾チョッキかな」
勉は迷彩服のごわごわした衣類を取り出した。
「お、俺の武器これかよお……」
できるが悲痛の声をあげて取り出したのは、家庭科の授業で使ったことのある、ソーイングセットだった。
水色の透明な箱の中に、裁縫に使う待ち針やら小さい黒い糸巻きがきれいに入っていた。
もしこれが退屈な家庭科の授業だったら、どんなに良かっただろうか。しかし、ここは無人島。しかも、変なサバイバルゲーム。
 クソ、ゲームって物は、僕は昔から嫌いなんだよ!
「こんな物でどうやって戦えってんだよお……」
できるがさらに悲痛の声をあげていると、急に勉が小声でできるに話しかけてきた。
「ねえ戸手茂君、僕さっき海の家で見たんだけど……」


太陽が近くの海を、とてもまぶしく照らし始めた。昼が近づいてきたようだった。



【残り36人】


第12話 初めての感情 新たなる殺意

 午前9時45分。H―2地点。川の水が静かに流れている。澄み切った水に混ざって、赤い液体が流れている。
川の流れの静けさとは対照的に、川のすぐそばではゴシゴシと何かを強く磨く音が響いている。
チェーンソーの刃だった。赤い液体はその刃から出ていた。
川の近くに落ちていたタワシを使って、刃に付着した血液を洗い落としている――鈴木安雄(男子11番)によるものだった。


 安雄は歯を食いしばりながら、必死で磨いている。磨きながら、安雄は思う。
サスペンスの犯人も血を落とすのってこんなに苦労したのか? もう5分も磨いてるのに、全然落ちやしねえ。
安雄は一旦磨くのをやめ、休むことにした。チェーンソーをセカンドバッグに立てかけ、寝転がった。
空が視界一面に広がった。青い空の中にひとつ、大きなくじらの形に似た雲が浮かんでいる。
あの雲に乗れてら、こんな島さっさと抜け出してやるのに。安雄は本気でそう思った。
俺、こんな所で何やってるんだよ――。安雄は上体を起こし、両手の手のひらを合わせて握り、目を閉じた。
2時間前の記憶が鮮明に蘇ってきた。


 「バババババッ!」
犬山三郎(男子2番)にあお向けに押えつけられ、チェーンソーの刃が安雄のまつ毛にかかろうとした瞬間だった。
「ああああああああああああっ!」
安雄は叫びながら、犬山のチェーンソーを握っている両手を両手でつかみ、全力で前に押した。
火事場の馬鹿力という奴だった。刃は見事に安雄から離れた。しかし、次の瞬間刃は犬山の顔面に突き刺さっていた。
いや、削っていた、顔面を。ブチョブチョと、何か皮膚のカケラやらが落ちてくる。
「ひぎいいいいいっ!」
犬山は絶叫しながら、刃を顔面から引っこ抜いた。
「ブチュチュッ!」
そして、チェーンソーの電源を切った。安雄はその気持ち悪い音をはっきりと聞いた。
同時に、顔面に大量の犬山の血液が降ってきた。しかし、その血の雨も数秒で、犬山は顔を両手で押さえてあお向けに倒れた。
そして、低いうめき声をあげた。
「ううっ……! クソ野郎がっ……! 畜生っ……!」
「あああっ、あああ……」
安雄は上体を起こし、口をこわばらせながら、座ったまま後ずさりした。
自分が犬山の顔面に穴を開けたという事実だけが頭の中でぐるぐる回っていた。犬山はうめき声に近い声で話し始めた。
「俺ぁ、こんな所で死ぬわけにはいかねえんだっ……! 
 はあっ、はあっ……、出木杉をぉっ、はあっ、はあっ、殺すまではなあっ……!」
2分程犬山の荒い呼吸がその場から立てない安雄の耳に届いた。犬山の荒い呼吸の音はどんどん小さくなっていった。
安雄は何としても犬山を助けたかった。ここで犬山が死んだら、間違いなく自分は殺人犯になる。それだけは絶対に嫌だった。
安雄はなんとか立って歩き、両手で顔を覆って倒れている犬山にかけよった。口をこわばらせながら聞いた。
「なあ犬山、俺どうしたらいいんだよっ……!」

「死ねばいいんだよ」

犬山がそう言い終わった直後、安雄の首は犬山の両手でガッチリと捕らえられていた。
犬山は上体を起こし、安雄の首を掴んだのだった。
額の中央からあごまでがまっすぐに裂けている痛ましい犬山の顔が、不気味に笑った。そして言った。
「どうせ死ぬんならお前も道連れにしてやるよおっ、ヒヒヒ……!」
犬山の両手に力が入り、安雄の首が強く締めつけられ始めた。どんどん苦しくなってくる。
「やめろおっ……! やめてくれえっ……! 犬山あっ……!」
安雄は全力を声をふりしぼって叫んだ。
「誰がやめるかよおっ……!」
犬山はさらに力を込めた様で、安雄はもう声出せなかった。安雄は考えた。生きるなら安雄を殺すしかない。
――それじゃあ俺は殺人犯になるのか? ここで死ぬのか? 究極の選択という奴だ。長く考えている時間などない。
だんだんと意識が遠のいていくのが自分でも分かる。安雄はひとつの選択肢を決めた。
そして次の瞬間、安雄は空いている両手を犬山の顔面の傷口に突っ込んだ。安雄が選んだのは前者だった。
「ぐちゅびちゅ!」
精肉店での、肉の下ごしらえか? 違う、そんなものじゃない。本物の人間の肉を、えぐり取った。
「ひぎいいいいいっ!」
犬山が絶叫した。出血が激しさを増した。犬山の両手が少しだけ安雄の首から離れた。安雄はそのスキを見逃さなかった。
安雄は右足に全力を込めて犬山を蹴り飛ばした。
「ぐげぶっ!」
犬山が奇声をあげ、再びあお向けに倒れた。
安雄は犬山の多量の血がしたたるチェーンソーを拾って、自分のセカンドバッグが置かれている位置へと駆け出した。
「逃がすかよおっ!」
犬山の声が近づいてきた。犬山の走る足音が近づいてくる。安雄はセカンドバッグを取ると、右肩にかけて、全速力でとにかく走った。
逃げ切れる自信が安雄にはあった。顔に重傷を負っている人間が、そんなに速く長く走れるわけが無い。
やがて、犬山の声も走る足音も聞こえなくなった。安雄は安堵の息をもらし、近くの木の下に座って休むことにした。
ひどく喉が渇いている。安雄は水を飲むことにした。セカンドバッグからペットボトルを取り出し、水を飲み始めた。
冷たい液体がのどを心地よく通っていく。水を飲むのをやめると、血生臭い臭いに気づいた。チェーンソーだった。
犬山の血液がベッタリと付着していた。洗い落とさなきゃな、と安雄は思った。次の瞬間、安雄はひどい眠気に襲われた。
今日は6時前に起きたせいかもしれない。しかし襲ってきたのは眠気だけではなかった。

『罪悪感』

今までに感じたことの無い感情だった。ふと両手の手のひらを見た。真っ赤だった。犬山の血。自分が斬ったのだ。犬山の顔面を。
真っ二つに。爆音が聞こえないから、まだ死んではいないのだろう。しかし、長くは持たないだろう。眼から涙があふれてきた。
そのとき、安雄の耳に昨日のバスの中での、犬山の音痴な歌声が聞こえてきた。
「犬山っ!」
安雄はとっさに振り返り、叫んでいた。しかし、そこには緑の木々がたくさん茂っているだけで、誰もいなかった。
「ごめん犬山……、許してくれ……」
安雄は誰もいない風景にそうつぶやいた。次の瞬間、安雄はチェーンソーをセカンドバッグの中にしまい、セカンドバッグを肩にかけた。
そして、両手で両耳をふさぎ、駆け出した。できるだけ爆音が聞こえない遠くへ、遠くへと安雄は走った。
あふれ出てくる涙をこらえながら、とにかく走った。


 安雄はまぶたを開いた。ふと空を見上げると、もうくじら雲は見えなくなっていた。犬山は死んだ。俺は生きている。
死んだ犬山のために、俺に何かできることはないのだろうか? 安雄は再びまぶたを閉じ、両手の手のひらを合わせて握り、考え始めた。


 H―7地点。砂浜に近い森の中に、彼女は身を潜めていた。
常に間宮奈々子(女子19番)や牧野恵理香(女子18番)と行動を共にしていた、浅尾真希(女子1番)だった。
彼女は小屋を出発してから、ずっとシャーリー・ララドルフ(女子13番)を探していた。殺す為だった。
浅尾はセカンドバッグの中から、スタンガンを取り出し、右手で握り締めた。浅尾は半年前の悪夢を思い出した。


 忘れもしない、シャーリーのあのときの眼。自分を世界で1番汚いものを見るような眼で睨みつけ、机に背中を叩きつけられた。
背骨を折られたのだ、あの銀髪の女に。折られたのは、背骨だけじゃなかった。私が入院して、奈々子がお見舞いに来たときだった。
「真希がやられたのは仕方ないじゃん? なんかアイツ、ケンカ強そうだったし」
奈々子は傷ついた私を、そう励ましてくれた。ふと、恵理香の奴がいないことに気づいた。
「恵理香のヤツは?」
「ああ、今日ガッコ休みだったからさ。それより、ちょっと自販機行ってくるから」
奈々子は席を立って、病室を出て行った。私はトイレに行くため、ベッドから出てトイレに向かった。
用をたして、個室を出ようとしたときだった。
「ったく、あの銀髪なんかにやられてんじゃねーよ、真希のヤツ。使えねーよなぁ、全く」
自販機に行ったはずの奈々子の声が、洗面台の方向から聞こえた。信じられなかった。
これまでずっと友達だったはずの奈々子の口から、そんな言葉が出るなんて。涙があふれてきて、止まらなかった。
あの銀髪の女は、私の背骨だけでなく、奈々子との絆まで折ったのだった。私はしばらく泣き続け、個室を出ることができなかった。


 浅尾は、スタンガンを再び握り締めた。私はあの銀髪の女を許さない。絶対に。
シャーリーへの殺意が、浅尾のスタンガンに込められた。――しかし、ふと疑問がわいた。スタンガンに視線を落とす。
私はあの女を殺すことができるのだろうか。スタンガンをシャーリーに接触させ、電流を流す場面を思い浮かべてみる。

 激痛の叫びを私の耳に響かせる銀髪の女。もっとよ、もっと苦しみなさい。――しかし、次の瞬間状況は一変した。
スタンガンの電流をくらい、苦しみ続けていた銀髪の女が笑い出したのだ。何故だ、さっきまであんなに苦しんで――。
次の瞬間、銀髪の女は私の耳元にささやいていた。私の左胸に小さい銃器をつきつけて。
「今までのはお芝居。こんな弱い電流じゃあ誰も死んでくれるわけがない」
ぱん、と小気味良い音がすごく耳に響いた。血の線を空気中に描きながら――私は倒れた。

 私ははっと気づいた。かすかに体が震えている。浅尾は左右に首を振った。落ち着くの、落ち着くのよ、真希。
自分に静かに言い聞かせる。しかし、しかしだ。万が一、想像通りになったら――。そのときだった。
前方100m先を、こちらに背を向けて歩いている男がいた。
 シャーリーと同じ時期くらいに転校してきた、無口な男――仁王連次(男子15番)だった。再び、スタンガンに視線を落とす。
次の瞬間、真希は不気味な笑みを浮かべていた。私、いいこと思いついちゃった。リハーサルよ!
あの男にスタンガンの電流を流して、スタンガンの電流の威力を試す。幸いなことに、あの男はこちらに背を向けている。
バレないように忍び寄れば、ひと思いにこの作戦を実行することができる。万が一、効かなかったとしても、逃げればいい。
 確か、あの男は私よりも足が遅かったはずだ。体育の時間、50m走で運動神経の悪い葉月勉(男子18番)にさえ負けていた。
走り方がものすごく変で、奈々子と一緒に笑ってやった。だが、しかしもし、あの男が銃を持っているとしたら――。
その先は考えないことにした。こんなところでうかうかしていたら、あの男に逃げられてしまう。
セカンドバッグを茂みの中に隠し、あの男に向かって忍び寄り始めた。10m、10mと徐々に距離を縮めていく。
後10m、5m、1m――今だ! 浅尾は両手で強くスタンガンを握り締め、仁王の背中の中央部に押しつけた。
「バチバチバチッ!」
浅尾は、一瞬何が起こったのか分からなかった。電流は確かに流れた。しかし、スタンガンの電流が効かなかったわけではない。
それ以前の問題だった。目の前にいたはずの男がいなかった。そんなバカな。どこだ、一体どこに――。
浅尾が辺りを見渡そうとしたときだった。
「おい、その手に持ってるモンなんだ?」
背後から聞きなれない声が聞こえた。浅尾はとっさに振り返った。次の瞬間、浅尾の眼に映ったのは銃口だった。
なんの銃かは分からない。というか、そもそも銃というものを初めて見たのだ。この平和な国に、そんなものが存在するなんて……。
同時に、その銃を握っているのが仁王だということが分かった。
「おい、質問に答えろ」
仁王は、淡々と続けた。浅尾は心の中で目の前の男に舌打ちした。何で、何で私がこの男なんかに――。仁王はさらに続けた。
「そうか、じゃあ質問を変える。お前は、そのスタンガンで俺を殺そうとした。そうだな?」
そうよ。私はスタンガンの威力をアンタに試そうとした。浅尾は心の中で、仁王に強くそういった。
しかし、浅尾はそんなことを言わなかった。むしろ、その逆だった。
「ごめんなさい。私、混乱してて――。本当にすまないと思ってる。仁王君、怒ってる――よね?」
「ああ、怒ってる。とっとと俺の前から失せろ」
仁王は冷めた声を浅尾に浴びせた。
「本当にごめんなさい。気をつけてね」
浅尾はそういい残し、セカンドバッグを隠した茂みへと走り出した。仁王は浅尾の後ろ姿をじっと見ながら、小さくつぶやいた。
「危なかったな……俺」

 浅尾はセカンドバッグを隠した茂みに戻ると同時に、思いっきり近くの木の幹に、右足で強く蹴りを入れた。たくさんの葉が落ちてきた。
ここへ走り始めたときから歯ぎしりが止まらない。うるさい。自分の歯ぎしりが耳ざわりだ。
しかし、今の浅尾にとって1番止めたいのは、自分の歯ぎしりではなかった。仁王の心臓の鼓動だった。
偉そうな、あの男の心臓。何としてでも、止めてみせる。
浅尾は、心の中でシャーリー・ララドルフに言った。あなたに、少しだけ生きる時間を与えるわ。私、急用ができちゃったの。
とっても大事な急用が――。浅尾はもう1度、ついさっき蹴った木の幹に強い蹴りを入れた。
「覚えてなさい、仁王連次。これからは、背後によく気をつけることね」

 浅尾は、ついさっき仁王を襲おうとした場所へ、強い憎しみを込めた声でそう言った。
浅尾の今の心とは裏腹に、浅尾の周りに散らばっている葉は、とてもきれいな紅葉だった。

 日が、確実に南の空に近づいていた。


【残り36人】


第13話 荷物持ち同行 海の家の離散

 ガサリ、と誰かが茂みから顔を出した。丸い眼鏡に丸い鼻。小さい耳たぶその耳たぶをつたって、冷や汗が落ちた。歯を激しくガチガチと鳴らしている――野比のび太(男子16番)だった。
のび太は3時間ほど前にシャーリー・ララドルフ(女子13番)と別れて以来、ずっと地面を這いながら移動し、多目土二(男子12番)とあばら谷一郎(男子1番)を捜していた。
しかし、3時間かけて捜しても2人と合流することはできなかった。
そもそものび太は3時間かけて捜したといっても、出発したプレハブ小屋の周囲400m以上先を行こうとしても、地面を這っている四肢がすくんでしまい、這ってきた道を引き戻す。
これの連続だった。のび太は怖かった。シャーリーと別れてから3回の爆発。3人のクラスメートの死亡。誰だ、誰がこんなひどいことを――。
こんなに心の底から怖いと思ったことがあっただろうか。のび太は去年の町内の夏祭りのお化け屋敷を思い出す。あれは本当に怖かった。
 お化け屋敷の前でばったりスネ夫に会って、『お前みたいな弱虫がお化け屋敷なんて入れるわけないよねー』と、からかわれてムキになってつい入っちゃったっけ。
そして、屋敷に入った途端、落武者の生首が転がってきたっけ。もちろん、その生首は模型だったけど、本当に良くできてたなあ。
その生首を見てすぐ、大量にお漏らししちゃったんだよなあ、僕。そのすぐ後出てきたろくろっ首を操ってた人が、
「うわっ、くさっ!」
って言って僕の目の前に間違って現れたっけ。
 ――でも、ここはお化け屋敷なんかじゃない。ああ、これが悪い夢だったらどんなに良かっただろう。ふと、涙がこぼれてきた。のび太の頭に多目とあばら谷の笑顔が浮かんだ。
「うう……、多目君、あばら谷君……、会いたいよお……」
のび太が涙ぐんでそう言ったときだった。
「動くな」
鋭く、強い声が前方から聞こえた。聞いたことのあるハスキーな声。のび太は涙をふいている右腕を顔から離した。
次の瞬間、のび太の涙目に映ったのは、小屋を出発する少し前に話した――仁王連次(男子15番)だった。仁王の右手には銃が握られている。
少しだけ銃に詳しいのび太は、その銃が何の銃なのかすぐに理解できた。ごく普通のライフル銃だ、間違いない。しかし、理解できないこともあった。
何故仁王はライフル銃の銃口を、今まさに僕に向けているのだろう? のび太はその疑問を解消するために、とりあえず仁王と話すことにした。
「あ、あのさ、僕誰か分かるよね?」
「のび太だろ」
仁王は無表情のまま、そう答えた。のび太はその声が、小屋の中で話した仁王の声とは違うことに気づいた。確かに同じハスキーな声だ。でも、何かが違う。ひどく冷たい。
のび太にはそう感じられた。のび太はとにかく、一番気になっていることを聞くことにした。
「な、なんで僕にそ、そのライフルを向けてるの? ぼ、僕仁王に何か恨まれる様なことしたっけ?」
「別にお前を恨んでるわけじゃない」
仁王は冷え切った声でそう答えた。のび太はさらに聞き返した。
「じゃ、じゃあ何で――」
「死にたくないからだ」
「僕、仁王を殺したりなんかしないよ! 仁王の答えに、のび太はそうはっきりと答えた。
しかし、仁王は同じ声の調子で言った。
「信用できるか」
「――え?」
のび太はあっけにとられた。『信用できるか』だって――? 仁王は強い口調で続けた。
「セカンドバッグから、持ち物を全て出せ」
のび太は不服に思いながらも、セカンドバッグの荷物を全て出し始めた。仁王はのび太が荷物を出している様子を見ながら言った。
「お前の武器を出せ」
のび太はしぶしぶ4B鉛筆を仁王に向かって突き出した。仁王は舌打ちして言った。
「バカにしてんのか?」
「これが僕の武器だよ。信用できないなら、荷物を確かめたっていいよ!」
のび太は仁王に向かって強く言った。のび太は、すでに怒り始めていた。僕が信用できないからって、こんなのってひど過ぎる。あんまりだ。のび太がそう思ったときだった。
「あっはっはっはっ……! ひい〜、腹痛て〜!」
仁王が突然腹を抱えて笑い出した。さっきまでの冷酷な態度とは逆に。
「何がおかしいんだよっ!?」
のび太は仁王の態度に疑問を込めて叫んだ。しかし、次の瞬間仁王の発した言葉は、のび太の耳を疑うものだった。
「すまん、すまん」
「――え?」
のび太は仁王の言葉の意味がよく分からなかった。『すまん、すまん』だって――? 仁王はさらに続けた。
「悪いな、こんなことして。鉛筆じゃあ俺は殺せない。本当に悪かったな」
「い、いや良いんだよ。分かってくれれば……」
のび太は拍子抜けした声で仁王をさとした。
「時間とらせて悪かったな。それじゃあ、俺そろそろ行くわ」
仁王はそう言って、セカンドバッグを左肩にかけ、この場を去ろうとしたときだった。
「ちょっと待って!」
のび太は仁王を引き止めた。
「なんだよ?」
仁王は首をかしげて、振り返った。
「一緒に多目君とあばら谷君を捜してくれない?」
のび太は少し弱腰に聞いた。僕と仁王がこれ以上一緒にいる理由はないけど、仁王が僕に謝り出したとき、なんだかホッとした。心からホッとしたのは本当に久しぶりだなあ。
のび太には素直にそう感じられたから、仁王に同行してほしいと頼んだのだった。

「別にいいけど、条件がある」
仁王は元のハスキーな声でそう答えた。表情も、元に戻っていた。
「条件?」
のび太は仁王の答えにホッとしたものの、首をかしげた。まさか、とんでもないことだったら――
「俺のセカンドバッグ、持ってくんない?」
「そんなことならお安い御用だよ、5年生のころよくジャイアン達の荷物持ちやったからね」
仁王の条件を、のび太は快く承諾した。
「交渉成立だな。ところでお前、2人の居場所の見当はついてんのか?」
 仁王の質問に、のび太は残念そうに首を横に振って言った。
「多目君とは待ち合わせたんだけど、待ち合わせ場所に来なかったんだ。不安になって、ずっと周りは捜したんだけど――」
「あまり近寄りたくはなかったんだが、海の家に行ってみるか……。俺もさっきまでここを調べてたからな――」
仁王は不安げにそう言った。仁王の言葉に、のび太は両手をたたいて言った。
「そうか、海の家ならみんないるし、多目君やあばら谷君を見た奴がいるかもしれないしね。でも、何で海の家に近寄りたくないの?」
「嫌な予感がする」
仁王は顔を曇らせてそう言った。
「――え?」
 のび太は仁王の言葉にまた首をかしげた。仁王は海の家の方向を見ながら言った。森の木々の隙間から、白い砂浜のようなものが見えている。
「とにかく、行ってみる以外に手がかりはなさそうだし、行ってみるか」
「う、うん、そうだね。行こう行こう!」
のび太はそう言って、自分のセカンドバッグを右肩に、仁王のセカンドバッグを左肩にかけ、ライフル銃だけを持って先に歩き出した仁王の跡を足早についていき始めた。
 のび太は仁王の跡をついていきながら思った。シャーリーも同じこと言ってたよなあ、『嫌な予感がする』って。どうしてそんな予感がするんだろう? みんな集まってるだけなのに――。



 I―5地点。真っ白な砂浜にポツンと、薄汚れた海の家。その海の家のドアの外に、4人の背がもたれている。
出木杉親衛隊隊長である小山田夏子(女子6番)、隊長の小山田に続く隊員の井沢美香(女子2番)と伊藤加奈(女子4番)。
それに、見張り番を始めてからずっと顔色が悪い牧野恵理香(女子18番)。この4人は午前11時から見張りを続けている。今は11時10分。規則である『15分交代』まで、後5分というところだ。
出木杉親衛隊の3人は、見張りが始まってからずっと雑談を繰り広げている。その3人から少し離れて牧野はずっと黙っている。
 ――どうしてあの3人はこんな状況でおしゃべりができるのよ?
牧野はそう思いながら、首をかしげた。しかし、3人の雑談は留まることを知らない。
「それにしてもさー、戸手茂とガリ勉の奴ら何で逃げ出したのかなぁ〜?」
井沢が軽い口調でそう言い、首をかしげた。
「そりゃあアレでしょ〜、『愛の逃避行』ってヤツじゃないのぉ!?」
小山田がそう言うと、井沢と伊藤が腹を抱えて笑い出した。
「あっはっはっはっはっ、チョ〜キモいんですけどぉ〜」
「やめてよナッちゃん、ひぃ〜、お腹痛い〜」
2人の爆笑が終わったときだった。

「ガサッ」
「――ねえナッちゃん、今向こうの茂みで音しなかった?」
ついさっきの笑顔が嘘のように消え、不安げな顔をした伊藤が小山田に聞いた。
「うん、アタシも聞こえた……」
井沢は怯えた声でそう言うと、小山田の右腕にしがみついた。すると、伊藤は小山田の左腕にしがみついた。牧野はさっきよりも、親衛隊の3人に近づいている。小山田はちら、と横を見ながら叫んだ。
「牧野っ! アンタちょっと見てきなさいよっ!」
牧野は顔をひきつらせたまま、首を横に振った。小山田はチッと舌打ちすると、井沢と伊藤の腕を振りほどいた。ゆっくりと歩いてきて――牧野の右ほおを平手打ちした。
――え? 今何したのコイツ? 
 牧野恵理香は一瞬何が起こったのか分からなかった。
「早く行けっつってんだよ、牧野」
小山田はぴしゃりとそう言った。牧野はセカンドバッグを左手に持ち、音のした茂みの方向へと忍び寄り始めた。溢れ出てくる涙を、握った右手の甲でふきながら思った。
アタシは死ぬ。音の主に殺される。当たり前、だってその音は洋画とかに出てくる、銃の音に似ていた。その銃が、殺人鬼の武器だとしたら――
でも逃げたって変わらない。一人だもの。3時間くらい前に聞こえた銃声の主が、茂みの向こうにいる音の主だったとしたら、アタシは殺されちゃう。
そう、どっちにしたって変わらない――牧野は右手の甲を顔から離し、おそるおそるうっそうとする茂みをかき分けて進んだ。音の主はすぐに現れた。無表情な顔の男が、牧野に銃口を向けている。
「きゃああああああっ!」
牧野はそう叫び、へなへなと地面に座り込んだ。腰が抜けて、動けない。殺されちゃう、私このままじゃ――。牧野がそう思い、セカンドバッグを開けて武器を取り出そうとしたときだった。
男の銃が火を吹いた。
ぱん、と。

 ちょうどその頃、海の家から元平了(男子19番)と矢部小路(男子20番)が飛び出してきた。矢部はショットガンを握って。
「何だよ、今の銃声は!?」
矢部はそう言って、ショットガンをかまえて照準をあちこちに動かした。元平はふと気づいて、出木杉親衛隊である3人に聞いた。
「牧野さんがいないっ! 3人とも、牧野さんと一緒に見張りしてたんじゃないの?」
 元平の質問に、出木杉親衛隊の3人は顔を見合わせた。自分達が銃声の方向に、脅して行かせたとはとても言えない。3人は同じことを考えていた。――そのときだった。
「助けてぇっー! 誰かぁっー!」
「おい、今の牧野の……」
矢部は少し震えた声でそう言い、悲鳴の方向へショットガンをかまえた――ときだった。
「矢部っ! 撃てっ!」
矢部の耳に、ひどく興奮している元平の声が入った。矢部は元平のいる方を一瞬見て、うなずいた。やってやる。牧野、この弾に当たるなよ――。
牧野の悲鳴の方向へと照準を合わせ、引き金を引いた。
「ドンッ!」
 矢部は後ろにふっ飛び、しりもちをついた。俺が撃ったんだ、俺が――。矢部は握っているショットガンに視線を落とし、そう思った。そばの雑草に、茶色い薬莢が煙を上げながら落ちていた。
直後、爆音が矢部の耳に響いた。その音はあまりにも大きく、一瞬鼓膜が破れたかと思うほどだった。
 とっさに視線を上げると、ボールを投げた後のフォームをした元平が視界に入った。同時に、牧野の悲鳴の方向が煙に包まれていることに気づいた。
また、見張りをしていた女子3人が固まって震えていることにも。
「手榴弾投げたんだ。それと、手榴弾を投げてすぐに、誰か――数人の人間が走り去る音が聞こえたんだ。多分、敵が逃げたんだと思う。――牧野さんを連れて」
 元平はそう言いながら、矢部に向かって走ってきた。
「この手榴弾は、井沢さんからもらったんだ。――それと、さっきはどなったりしてごめん」
矢部は首を横に振って言った。
「いいんだ。もう敵が逃げたんなら――」
「みんな! 海の家に戻ろう!」
 元平がそう叫ぶと、親衛隊の3人は血相変えて、すぐに裏口のドアの中へと入っていった。というよりは、飛び込んだという感じだった。
「さあ矢部君、僕達も早く戻ろう。――矢部君?」
元平が呼びかけた矢部は、煙が晴れ始めた牧野の悲鳴の方向をじっと見つめていた。
「なあ、元平」
 矢部は元平を向かずに、突然呼びかけた。
「なんだい?」
矢部の突然の呼びかけに、元平は少し驚きながら、答えた。
「俺達……、やったのか?」
矢部の言葉に、元平はうなずいて言った。
「僕達はよくやったよ。――牧野さんのことは残念だったけど、無事であることを祈ろう。でも、僕達にやれることはやったよ」
「ありがとう、元平」
矢部はそう言うと、海の家の裏口へと走っていった。1人残された元平は、自分が手榴弾を投げた方向をちらっと見て、つぶやいた。
「――恨まないでくれよ、牧野さん」

 海の家の中の8人が落ち着きを取り戻すと、壁にかかっているアナログ時計が、11時20分を指した。すると、片倉三郎(男子5番)が裏口の方向を指差して言った。
「おい小山田達、早く見張りに戻れよ」
「何言ってんのよ、もう見張り時間15分過ぎたわよ」
小山田が強い口調で言った。横に座っている井沢と伊藤が片倉を睨みつけた。
「おいおい、そんなに睨むなって……。じゃあ次は元平たちの番だろ、行けよ」
 片倉が少し右腕をつかみながら言った。
「嫌だよ」
「え?」
元平の予想外の即答に、片倉は耳を疑った。直後、元平は頭の上部を両手の手のひらで押さえると、淡々と話し始めた。
「バリケードを張ったこの海の家を拠点に、僕達は防衛戦をしながら、出木杉くんが来るのを待つ計画だった。
 今ここに残っているみんなは、この計画に乗った。――そうだよね?」
元平以外のクラスメートがうなずいた。元平の突然の予想外の言動の理由を、頭の中にはりめぐらせて。元平はこの様子を見兼ねて、さらに続けた。
「この計画に穴が二つあることに気づいたんだ。一つは戦闘音の大きさ。僕と矢部君はさっき、銃と手榴弾を使った。もちろん音が出るだろう? 
 この音を聞きつけて、ここに来る前に聞こえた銃声の主が、僕らを殺しに来るかもしれない。つまり、ここで戦闘をするごとに、僕らは敵をおびき寄せることになるんだ。
 はっきり言って、出木杉くんが来るのを待っていたら、僕達は確実に――この島に居る殺人鬼に殺されて、死ぬ」
「う、嘘だろ……」
小渡誠人(男子4番)が震えた声でそう言った。しかし、出木杉親衛隊の一人である井沢は臆するよりも、出木杉英才の弁解に回った。
「何よ、それ。あんた、出木杉さんが信じられないの? 出木杉さんが約束を破ったことなんて一度もないわ! きっと、何か――来られない理由があるのよ。きっとそうよ!」
「じゃあ、来られない理由って何なのかな? 約束の時間が三時間も遅れるほどのことって?」
 井沢は、ギリっと唇を噛んだ。伊藤が何か言おうとしたが、元平はさらに言った。
「穴はもう一つある。もう一つは、戦力の低さ。さっきの戦闘で、まともに戦おうとしたのは僕と矢部君だけ。いくら強い武器を持っていたって、戦おうとしなければ、意味がないんだよ」
「何なのよ、その言い方? まるで、私達が役立たずみたいに!」
 小山田が元平が話し終えると同時に、そう叫んだ。顔を紅潮させ、両手で握りこぶしを作っている。小山田のすぐそばに座っていた井沢が立ち上がって、もう一度叫んだ。
「私達は戦おうとしなかったわけじゃないわっ! 腰が抜けて動けなかったのよ! 第一、そんな野蛮なこと女の子にやらせるほうがおかしいのよっ!」
「そーよそーよっ!」
井沢の横に座っていた伊藤が立ち上がり、井沢の意見を支持した。――そのとき、元平は小さな声でつぶやいた。
「――戦えない奴は、出て行けよ」
「はあ? 何言ってるの?全然聞こえないんだけど、何?」
「戦えない奴は、出て行けって行ってるんだよっ!」
元平はそう叫ぶと同時に、近くに倒れていた長いすを蹴った。一瞬にして、元平以外のクラスメート全員が黙った。――しかし、その静寂を破るように小山田が口を開いた。
「行くわよ、みっちゃん、かなりん」
「え? 行くってどこに?」
井沢の質問に、小山田は即答した。
「ここの外よ、ここ以外ならどこでも、いいの。これ以上、このバカと話してても時間の無駄よ――私達、出木杉さんを捜すから。私達は、出木杉さんを信じる」
小山田は元平を指差しながら、はっきりと言った。キッと睨みつけながら。小山田の睨みに対し、元平は鼻で笑った。なんだ、こいつら思ったより物分かりがいいじゃないか、という思いをこめ――。
 出木杉親衛隊の三人は、荷物をまとめるとさっさと出て行った。元平は、ふうと息を一つつくと、海の家に残されたクラスメートに話しかけた。


「ねえみんな、まだここに残るべきじゃない人がまだ居るんだけど」
 今度は、何を言う気なんだ、ここに残るべきじゃない人?――元平以外のクラスメート達はそう思った。しかし、当の元平はそんなクラスメートたちの心の内を知る由もなく、淡々と話を続けた。
「残るべきじゃないっていうのは、つまり――必要じゃないってことなんだよ。これから生き残っていく上で。単純に言うと、ね」
「あんまり、調子にのるんじゃねえぞ、元平」
 片倉三郎は元平を睨みつけながら、立ち上がった。片倉のすぐそばに座っていた浦成和雄(男子3番)も立ち上がって言った。
「なんでお前の価値観なんかで、そんなのが決まるんだよ? 自己チューか、お前は」
元平がさっき話し始めてから、ずっと顔色の悪い小渡も静かに首を上下に動かした。矢部は、元平の話が始まってからずっと黙っている。元平は、また鼻でフッと笑ってから言った。
「必要じゃない人っていうのは――君たちのことだよ、片倉・浦成・小渡」
片倉と小渡の顔は、さっきの小山田と同じように、みるみる紅潮していった。元平は、さらに得意げに話し始めた。
「理由を説明しようか? 納得がいかないのなら――」
元平は話している途中で、片倉に右頬を殴られていた。その勢いで、元平は思いっきり床に叩きつけられ、周りにあったいすがバラバラと崩れた。
同時に、片倉がものすごいけんまくで叫んだ。
「てめえ! もういっぺん言ってみろ! 次にもう一度俺達を怒らせたら、マジでぶっ殺すぞ!」
「ごめんごめん、少し言い過ぎたね。ごめん、ごめん――でも、一つだけ片倉くんに聞きたいことがあるんだ」
元平は片倉に殴られた右頬をさすりながら言った。片倉は、いらついた声で答えた。
「なんだよ」
「さっきの戦闘のときさ、何で海の家から出てこなかったのかな?」
元平がそう言うと、片倉はしばらく黙った。あれだけ元平を睨んでいた眼は、すでに横へ泳いでいる。
「――怖かったんだよ」
小渡がぽつんとつぶやいた。
「おいマコト! お前何言ってるんだよ!」
 片倉は少しあせりながら叫んだ。その様子を見て、元平は少しため息をつき――言った。
「やっぱりね、君達は戦うのが怖かったから、海の家から出られなかった。死ぬのが怖かった。――そうだね?」
三人はずっと床を向いたまま黙った。その様子を見て、元平はさらに続けた。
「――やっぱり、君達はここに残るべき人間じゃない人たちだ。戦おうとしないんだから、まったく戦力にならない。片倉は舌打ちをし、床を殴り始めた。悔しい、何も言い返せない自分が――片倉が舌を噛んだそのときだった。
「君達は、ここに残りたいかい?」
元平の突然の質問に、三人は同時に顔を上げた。
「それじゃあ、君達にチャンスをあげるよ。今から、この海の周りに居る敵を全員殺してきなよ。そしたら、この海の家にずっと居てもいいよ」
「――っざけんな! そんなことできるわけねーだろっ!」
片倉が怒りを込めて、もう一度叫んだ。片倉の態度を見て、元平は言い放った。
「それができないのなら――今すぐここを出て行きなよ!」
「ふざけるなよ! 誰が出て行くか!」
 元平はフッと笑った。
「それじゃあ仕方ないなあ、これ、できればこんな所で使いたくなかったんだけどなあ」
元平は、自分のセカンドバックを探りだした。セカンドバックの白さが、異様に目立つ。
「な、何をするつもりだよッ!?」
三人は、2、3歩退いた。
「あ、あった、これこれ」
元平がそう言って取り出したのは――手榴弾だった。さっき、外で爆音みたいのがしたけど――
「そ、それって――」
三人は退きながら、息を飲んだ。元平は場の空気にも関わらず、軽い口調で話し始めた。
「そう、手榴弾だよ。手投げ弾とも言うかな。それはともかく、これは正真正銘の本物の手榴弾さ。さっき、井沢さんからもらったんだ。
 あ、また話逸れちゃったけど、要するに僕が言いたいのは、君達が今から十秒以内にここを出なかったら、今この場で手榴弾のピンを外すってことさ」
一瞬、片倉以外の二人の息がふっともれた。
「な……何言ってるんだよ元平っ!」
「バカな真似はやめろよ!」
「死ぬのは僕達だけじゃないっ! お前だって死ぬんだぞ!?」
三人は、必死に元平の説得を始めた。
「10」
 三人の説得は遅く、すでに元平はカウントを始めてしまった。浦成は舌打ちして小渡に言った。
「マコト、お前は元平をおさえろ! 俺は手榴弾を取る!」
「分かった!」
小渡はそう言うと、全速力で走り、元平の後ろに回った――直後、小渡は倒れた。元平は、小渡が背後に回るよりも早く、小渡のみぞおちに強い蹴りを喰らわしていた。
こんな状況でも、元平はロボットのようにカウントダウンを進めた。浦成は、思い切って元平に突進しようとした――そのときだった。
「よせ、カズオっ! とにかくここを出るぞっ! コイツ、マジで危ねぇ」
片倉は、三人分のセカンドバックをまとめて肩にかけながら叫んだ。
「4」
 相変わらず、無表情のままにカウントダウンを続けている元平の横でうめいていた小渡を、浦成は背負いながら、片倉と一緒に裏口へ飛び込んだ。
「覚えてろよ、元平ァァ!」


 三人は、ちょうど午前11時45分に海の家を出て行った。午前八時に海の家に集まったクラスメート達は、今までの3時間半あまりの間に、すっかり島中に拡散してしまった。
そしてもうすぐ、ただ二人残った海の家を、南中した太陽がじりじりと照らし始める。現れた殺人鬼に脅えるクラスメートらも。当の本人である殺人鬼であるクラスメートも。
――そして、その殺人の犠牲となり、すでに息絶え転がっている元・クラスメートらも。


【残り36人】


第14話 親衛隊 赤い海

午前11時50分。I−5地点、海の家。その中に、矢部小路(男子19番)は居た。ついさっきの騒動から5分、海の家の中は、ずっと沈黙しか流れていなかった。
 矢部はちらっと壁にかかっているアナログ時計を見ると、伸びをして立ち上がった。
「俺、そろそろここを出る。――それじゃあな、元平」
 矢部がそう言って、セカンドバッグを右肩にかけたときだった。

「――へえ、奇遇だね矢部くん。僕も、ここを出ようと思ってたんだ。
 やっぱり、ずっとここに居ておくわけにもいかないしね。それに、大勢の敵が来たら、2人だけじゃあとても太刀打ちなんてできないだろうし――」
「2人にしたのはお前だろう」
矢部はそう強く言うと、元平に背を向けて、裏口へと歩き出した。矢部のそっけない返事に、元平は頭をかいた。
「あ、そうだったね! こりゃあ一本取られたなあ」
 矢部が裏口のドアノブに手をかけた、そのときだった。

「ねえ矢部くん、もしもこれからどこへ行くあてもないって言うんだったら――
 出木杉くんを殺すのを手伝ってくれないかい?」
元平の言葉に、矢部は耳を疑った。
「はあ? お前正気か!? 」
「確か矢部くん、昔源さんと付き合ってたんだろう? でも、出木杉くんが来てから、それが変わってしまった。源さんが男子とよくいるときなんてのは、出木杉くんと一緒に居るときだけになってしまった……。
 そうだよ、今こそ源さんを奪い返すときなんだよ。出木杉くんを殺すときなんだよ。出木杉くんを殺した暁には――きっと、昔の源さんは、君の元へ帰ってくるはずだよ。
 僕はそう思う」

元平の熱弁に、矢部はすぐに首を横に振った。
「悪いが、お断りだ。源は、俺の力で振り向かせてやる。――いずれな」
矢部の断りに、また元平は頭をかいた。
「……そうだよね。うん、矢部くんに人殺しを手伝わそうとするなんて、僕はどうかしてたよ」
 矢部が黙ったまま、ドアを開けたとき、元平はまた声をかけた。
「矢部くん、ごめん。1つ言い忘れたことがあったよ」
 元平の言葉に、矢部はもう一度振り向いた。
「なんだよ」
 矢部は、呆れたように元平を見た。元平は、ひょうひょうと続けた。


「僕、前に見ちゃったんだよ。前の週末、デパートに僕、本を買いに行ったんだ。そのとき、フードコートから出てきたんだよ」
「誰がだよ」
「出木杉くんと――クラスの篠原さんさ。出木杉くんは左手で篠原さんの右手を、篠原さんは右手で出木杉くんの左手を握ってたんだ。
 2人とも、同じストロベリー味のアイスを持ってて――とても楽しそうだったよ」

 矢部のセカンドバッグが、落ちた。




「え〜〜、それでは第1回の放送をします。もう昼だからな、お腹すいただろう? 一旦休戦して、昼ごはんにするといいです。
 それじゃあ、今まで6時間以内に死んだ友達の名前を発表します。

 女子15番築田洋子さん、男子6番金尾貯くん、女子11番小山文さん、女子7番加納美空さん、男子2番犬山三郎くん、以上5名です。
 みんな、お友達が死んで悲しいと思うけど、くよくよしないように。それが、このゲームの醍醐味だからです。
 死んだ友達のためには、頑張って戦ってください。優勝しようという意欲が大切です。
  うん、昼食が終わった人からまた再開すること! プレートも、上手く使うように!
 それじゃあ、みんなまた6時に会おうな〜〜」

 小山田夏子(女子6番)は、静かに息を吐いた。出木杉親衛隊であるが故の、気持ちだった。それは――ついさっき、発狂したあの元平了(男子20番)に追い出されたときの恐怖感ではなかった。
自分のほかにも、そばには井沢美香(女子2番)と伊原加奈(女子4番)が居るから、恐怖感などはとっくに消えうせていた。
確かに、このグループで活動するのはあのときの――小学五年生のときの、バレンタインから結成した時から始まっていた。
 覚えている。いっせいに、三人同時にあの憧れの出木杉英才(男子13番)にチョコを渡したときのこと。偶然、作ったチョコはハート型だったし、ラッピングの箱まで一緒だった。
「私達って、一緒だね」
最初に、小山田夏子が言った。
「うん。ねえ、あなたってクラス何組だっけ?」
伊原加奈も話しかけてきた。
「私は2組よ! で、出木杉さんは誰を選ぶのかしら?」
井沢美香も話に割り込んだ。
 その三人の前で、出木杉英才は静かに机の上に、ピンクや黄色のメッセージカードとチョコレートの山を作った。
三人の呆然とした顔を見ながら、出木杉は頭をかきながら、恥ずかしそうに微笑んだ。あのしぐさを、三人はほぼ同時に頭の中に映し出した。・

「気持ちはとても嬉しいよ。でも、これだけの気持ちを受け取るのは、僕にはとてもムリなんだ――ごめんね」


 三人は、学校の裏で反省会を行った。反省会? 違う、あれは同時に出木杉英才のために、できる事を必死で考えた会議でもあった。

「ファンクラブでも作ってみる? 私達のほかにも、出木杉さんを好きな人って後何百人も居るんでしょ?」
「そうよ、隣町も隣の区にもファンクラブがあって、派閥争いなんかしてるって噂よ」
「すごいわね、出木杉さんって――ねえ、これから小山田さんのこと、ナッちゃんって呼んでもいい?」
 井沢美香がにやりと笑いながら言った。
「いいよぉ、んじゃあ、井沢さんはみかりんね♪」
「ずるーい! 私は……私は……」
 伊原加奈は、両手に握りこぶしを作りながら、必死で考えていた。小山田は、ゆっくりと言った。
「かなぽん……かなちん……かなりんがいいんじゃない?」
「あー、それ私と一緒!」
「別にいいでしょぉ? 覚えやすいじゃない」
「うん、それじゃあ、かなりん、みかりん、これからもよろしくね♪」

 ファンクラブは、腐るほどあったが――こういう名前のものはなかった。ちょっとだけ歴史に詳しい井沢が提案したものは、なんだか昔のシャニーズなんかにありそうな――
『親衛隊』
 しかし、この隊という表記に、小山田はかなり気に入ってしまい、結局二人は強気の小山田に賛同することになった。こうして、たった三人の『出木杉さんを見守りつつ、守る親衛隊』は結成された。


 あの後、元平了はすぐに矢部小路と共に海の家を出て行った。元平はニヤニヤしていて、矢部は眉が異常につりあがっていた。
2人がなぜか出て行ったのを確認すると、親衛隊の三人は、隠れていた岩陰から飛び出した。
「ねえ、あいつら自分達で残るって言ってたくせに、結局どっか行っちゃったわね」
伊原加奈は、セカンドバックの肩にかける紐を調整していた。
「でも、まあいいんじゃない? おかげで私達、また海の家に戻れるんだし」
井沢美香は、自分のショートカットの髪をかきあげながら、返した。
「――うん、そうなんだけどね――結局、私達だけになっちゃったわね。海の家に残ったのって」
小山田夏子は、海の家の周りにあるクラスメートたちの入ってきたときよりも多い――出て行った後の無数の足跡を見つめながらつぶやいた。

「しょうがないわよねえ、まったく。でも、私達のせいじゃないよね?」
「そーよ、そーよ。勝手に勘違いして、出て行くほうが悪いのよ。あんなヤツラ、死んじゃえばいいのよ」
「でもさあ、殺してるのって、一体誰なの?」
 伊原の突然の質問に、小山田と井沢は顔を見合わせた。
「あ、ごめん、マジで今のKYだったよね。へへへ、いいのよいいのよ」
すかさず、伊原がさっきの質問を消去した。二人は、もう一度顔を見合わせた。
「……そ、そりゃあ……男子だったら――剛田武(男子8番)とか?」
「仁王ってのも、苗字からして有り得ないわよねえ、不動明王って感じで。こいつも、かなり危ないんじゃないの?」
伊原は、そっと言った。
「でも、鉄砲の音とかしなかったっけ? 普通、普通の小学生が鉄砲なんて使えると思う?」
「そ、そうよねえ。ムリよ。そんなの、有り得ないわよね。第一、そんなの使えそうな奴が、6年3組に居たっけ?」
「あー……でも、シャーリーなんか、使えそうじゃない? ううん、間違いなく使えるわよ、あいつ、築田のうわさによると――」
 ここまで言って、小山田は思わず口をつくんだ。
「築田、死んだのね」
「……おかしいわよね。死んだ人たちって、なんか共通点が見えないわよね」
「すごいねえ、かなりんって体育もできるのに、推理小説なんか読むんでしょ? だから、こんなこと考えちゃうのよねえ」
「ま、結局海の家に来なかったから悪いのよ」
 小山田は、きっぱりと言い放った。それから、ぐるっと辺りを見回した。海の色が、目の中に映えた。こんなにきれいな海を見るのは久しぶりだ。
修学旅行の前に行った、鎌倉を思い出した。それと、同じ感じがしたが――やはり、どことなく似ていた。
「ここって、海きれいよね。気づかなかったけど」
「沖縄とかだったりしてね」
「! そうよ、それよ! 沖縄って、島がたくさんあるって社会で習わなかった?」
「――こういうときって、焚き木とか焚いて、救難信号を送るとか――そうよ、それで行きましょうよ!」
 伊藤が、思わずジャンプした。そのとき、森から――人影が現れたのを、井沢ははっきりと見た。


「ねえ、あれって出木杉さんじゃない?」

 井沢が指を差したその時に、人影はだんだんはっきりとしてきた。体つきからして、女子ではない。あの髪型――出木杉英才にそっくりだ。
しかし、それを完全に裏付けるものがあった。手を振っていた。右手を振っていた。
 出木杉さんは、利き腕じゃないほうの左手を振る。間違いない、出木杉さんだ!
が――、小山田がそう考えたとき、すでに井沢美香は走り出していた。
「出木杉さ〜〜ん、大丈夫だったぁぁぁ?」
「あぁずるい、みかりんぬけがけぇ!」
 伊原も走り出した。一番最初に走り出した、井沢は出木杉英才の元に、辿りついていた。

 久しぶりに見た、出木杉英才。右手にはセカンドバックを肩からかけていて、服のセンスも悪くない。髪型も、全然崩れてないし――
出木杉英才は、井沢が最初に見たときと同じように笑っていた。
あぁ、神様――やっぱり、私達、本当に出木杉さんを待っていて良かった!
 
「出木杉さん、はぁはぁ、大丈夫だった? どうして、こんなに遅れたの?」
「ごめん、それは言えないんだ」
「え、どうして?」
 そのときだった。井沢が、初めて出木杉英才の――違う表情を見たのは。表情というよりも――目が、瞳が急に冷たくなった。

「だって、君は用済みだからね。いや、君のバカなお友達も」
「え? 何言ってるの出木杉さん?」

 直後、井沢の意識はここで途絶えた、というよりも、命の線がここで途切れた。本当に、突然ぶっつと切られた。目の前にある――出木杉英才の左手に支えられていた、サブマシンガンによって。

ぱぱぱぱぱ、ぱぱぱぱぱ。

「ボーン!」
 この爆発音が、その後すぐに走ってきた伊原の行動を止めた。そして、すぐに井沢が――自分の親友が、出木杉英才に撃たれたのだと分かった。
しかし、分かったところでどうにでもなることではなかった。とくに、出木杉英才の前では。

ぱぱぱぱ、ぱぱぱぱ。

「ボーン!」
「え〜、今爆発したのはあ、I―1とA―7です! 誰だ、こんなに殺したのは? 不謹慎だとは思いますが、先生は正直嬉しいです!」
小山田夏子は、呆然としていた。今、自分の目の前で何が起こったのか?
 なんで、二人は倒れてるんだろう? なんで、真っ赤になって倒れてるんだろう? 平和学習で見た、写真みたいに?
なんで、なんで――

 出木杉英才は笑っていた。瞳以外は、笑っていた。瞳以外は。そこだけ、何か別人の――まるで、サスペンスドラマに出てくる殺人鬼のような。
「ウソよ! ウソよね、出木杉さん? 出木杉さんじゃないわよね? 二人を撃ったのは、出木杉さんじゃないわよね?」
「ウソじゃないよ、小山田さん。いや、ブス。お前の同類を射殺したのは、間違いなく僕だよ」
 そういうと、静かにグレーの塊を小山田に向けた。 それには、はっきりと赤いものがついていた。それは、二人の血だということは、頭の中では分かっていた。
しかし、心がそれを認識するのを許さなかった。認識? なんで、なんでそれを認めなくちゃいけないの? 出木杉さんが、友達を殺したからって、どうってことない。
だって、出木杉さんは私達の憧れだったから。でも、中途半端な覚悟なんかじゃなかった。
 本当に、出木杉さんのためだったら、死んでもいいと思った。

出木杉英才は、小山田の思考回路が異常稼動を起こしているのを見越して、無情にも引き金を絞った。

ぱぱぱぱぱぱ。

顔面から、赤い噴水が起こった。腹部の服が、一瞬で破れた。繊維と共に、皮膚が引きちぎられ、筋肉がむき出しになった。胸が、急に熱くなったのが分かった。
目がみえなくなったのが分かった。首が酷く痛いのが分かった。

 出木杉英才が、自分達の好きな人が、この島の殺人鬼だったということが分かった。

「え〜、今のエリアはE−10です」




出木杉英才は、当初考えていた計画があった。
 効率的に、かつ確実に源静香以外の人間の存在を消去する方法を考えていた。そして、先生のルール説明が済んだ後の15秒間で、この計画が浮かんだ。
『全員をこの小屋以外の一定の場所に集めて、殺す』
 もちろん、この場所に静香を来させてはならない。とりあえず、静香ちゃんには別の安全な場所に行ってもらおう。静香ちゃんが退避したのを確認したら――全員、まとめて殺す。
幸い、武器はさっき確認した――銃。それも、小型の銃ではなく、自動小銃の方だ。平たく言えば、軽くなったマシンガン。それで、間違いなく全員殺せるはずだ。はっきり言って、負ける自信がなかった。
 ただ――全員が、海の家に来るとは限らない。もちろんだ、計画に完全などない。だが、来ない人間はある程度目星はついている。

そいつらに――監視をつけておく。自分を信じてから来た単細胞共を全員殺した後、まだ来ていない奴を殺す。それから、もちろん監視も。
問題は、その監視――

だが、その計画は見事に崩れ落ちた。誤算だった。まさか、この三人がこれほどに無能で、エゴイストだとは思わなかった。これだけ時間を作って、来てみれば居るのは3バカトリオだけ。
おそらく、この島中に散ったのは明らかだった。まったく、僕を信じないなんて、本当にこのクラスはどうかしている。せっかく、自分がこれだけ6年3組に尽くしてきたというのに、集まったのはこれだけ。
 これからが大変だ。この愚鈍なごみ共が仕事をしなかったおかけで、自分がこんな目に遭うとは。
自分が殺人鬼だと悟られないように、慎重かつ迅速にクラスメートを殺していかなければならない。その点に関しては、不安など粉みじんも感じられない。
だが、時間が経てば経つほど、禁止エリアは増えていく。そして、行動する範囲は狭められていく。だから、なるべく早く殺さなければならない。
 静香ちゃんを安全な場所に行かせて、僕はそれを確認しながら、行動を進めていく。
さっき調査して、ざっと見積もった――よっぽどのアクシデントがない限り、夜の12時にまでには終わる。


出木杉英才は、三人のセカンドバックを探ってみた。手付かずの食料と水、その他諸々が入っていた。プレートも、もちろん回収した。しかし、すぐに小山田夏子の持っていたプレートは、海へ放り投げた。
小山田の後は、もう死んだ女子7番の加納。その禁止エリアはすでに指定されている。

 とりあえず残りの2枚のプレートと、水の入ったペットボトルを2本だけを持っていくことにした。
咄嗟に身をかがめた。誰かいないか、出木杉英才は辺りを見回した。岩には、小山田夏子だったものが、わかめのように張り付いている。
その岩の下の波打ち際の砂浜に、ここはリゾート地ではないと証明できる2つの死体が転がっている。
 危険! ごみが不法投棄されています、立ち入り禁止。 ごみは、無論この死体。


 時刻は、昼の1時30分を回っていた。

【残り33人】


第15話 木鳥の逆襲 記憶の空白

 僕は美しい。全宇宙の中で、だ。僕は自分のすらっとした指が好きだ。くびれてがっちりとしている胴回りも好きだ。でも何より1番好きなのは――顔だ。ぱっちりとした大きな眼。長い、長いまつ毛。雪のように真っ白な肌。そして、自分の指のようにすらっとして、少しとがっている口元。毎朝僕は目覚めると、すぐに自分の手鏡で顔を見る。その鏡に映し出されるのは、誰もが思わず見とれてしまう、絶世の美男子。僕は毎朝そうすることで、自分の美しさを確認しているのだ。ああ、僕は美しい。この世の男の中で、誰よりも、誰よりも――と。しかし、僕のこの美しい顔を傷つけた男がいる。その男の名は、剛田武(男子8番)。僕が住んでる1丁目だけでなく、少し遠い2丁目やとても遠い3丁目もテリトリーとする不良だ。忘れもしない、あれは小学5年生になったばかりの始業式の日だった。
 僕は始業式が終わると、体育館のトイレに入り、用を足した。用を足し終わり、手を洗っていると、ふと鏡に映っている自分の顔が視界に入った。――美しい。僕はそう思いながら、鏡の向こうの自分にみとれた。雑誌に載っている男性モデルがとっているようなポーズをとると、さらに自分の美しさが際立った。後5分、30分。いや、あと1時間はこうしていたかった。
 だが、その直後だった。
「おい」
ひどくドスのきいた、どこかで聞いたことのある声が背後から聞こえた。その声は、僕の有意義な時間を壊す邪魔者以外の何者でもなかったため、僕は腹立たしくも振り返った。右頬に強い衝撃が走った。体がくの字に崩れ、背中と腰に強い衝撃が走っていた。僕が殴り倒されたと気づいたのは、口の中に鉄の味を感じてからだった。

僕は腫れ上がり始めた右頬をさすりながら、洗面台を見上げた。
鼻歌を鳴らしながら、剛田武が手を洗っていた。ものすごい勢いで、自分の中に憎悪がこみ上がってくるのを感じた。
 ずっとずっと大事にしてきた、自分の美しい顔が今、この目の前の男によって壊された。汚された。
この事実が頭の中を駆け巡り、こみ上がった憎悪が殺意へと変わるのを感じた。が、僕はこのとき感情を爆発させなかった。必死で抑えた。相手が悪すぎた。なにしろこのときこの男は、2週間前に隣町で『不良中学生10人殺し』(本当に殺してはいなかった。半殺し、いやそれ以上だったと聞いた。まあこの男なら、殺しなど本当にやりかねないが。)をやってのけていた。それがなくても、僕はこの男を殺さなかったと思う。剛田武は手を洗い終えると、必死に殺意を抑えている僕に向かって、自らの手についている水滴をきりながら言った。

「洗面台一つしかねえんだからよ、ひとりじめはいけねえよ木鳥」

言い終わると同時にこちらに背を向け、だらしのない歩きでトイレを出ていった。剛田武がトイレを出て行った直後、僕はプラスチック製のゴミ箱を蹴り倒していた。よりによってあの男に、先生や学級委員長が言うような注意を受けた。それだけで激怒する材料は十分だったが、今日はあの男に右頬を殴られた。それを足すと、自分の怒りのレベルがなりのレベルまで達していたことは言うまでもない。腹の底から叫び上げ、トイレのタイルの壁をひたすら蹴りまくった。
 ふと、鳥の鳴き声が聞こえた。木鳥高夫(男子7番)は、うっそうと茂る木の葉をつけている一本の木の枝にカラスが一羽とまっているのに気づいた。不吉だな、と木鳥は思いながら島の地図を開いた。鉛筆で黒く塗りつぶした所が禁止エリアで――と、木鳥は再確認した。ふと、木鳥の頭に正午の放送で名前が呼ばれたクラスメートたちの顔が、次々と浮かんできた。まるで走馬灯だな、と木鳥は思った。
 築田洋子(元・女子5番)……ああ、あのうるさい女か。これで少しはクラスが静かになるな、と思った。金尾貯(元・男子6番)……がめつかったな、金に。俺の10円誰が盗りやがった!――と血眼になって叫んでいるのを教室で見かけたことがあった。次に浮かんだのは、小山文(元・女子11番)だった。出木杉が体育で活躍しているのを、グフグフ笑いながら応援していたこと以外は特に覚えていることはない、そんな女だった。次は、加納美空(元・女子7番)が現れた。休み時間は一人でずっと、占星術やら風水やら占い関係の雑誌を読んでいた。話したことは無かったが、誰かと話しているのも一度も見たことがなかった。今思えば、加納は相当な根暗な女だったのかもしれないな、と木鳥は思った。次に現れたのは犬山三郎(元・男子2番)だった。授業中によく、ウケ狙いバレバレの発言に対して笑ったものは、クラスの誰一人としていなかったのだが〔前述の『クラス』の中に、次に挙げる4人は含まれていない。剛田武、野比のび太(男子16番)、樺田ぼた子(女子8番)、木下礼子(女子9番)。剛田w)�ヌ陲箜鯏弔椶浸辧¬擴捨藥劼吏・・ぢ人は、授業に出ているのなんてほとんど見たことがなかったからだ。4人の中で唯一授業に出ていた野比のび太は、授業こそ出ていたものの、いつも寝ていたからだ。〕。また、犬山はかなりハイレベルな音痴だということも、昨日のバスで知った。昨日のバスで、『引っ込め、この音痴が』と思った。まさかこの日の翌日、本当に犬山が人生から引っ込むとは、このとき誰が予想しただろうか?
 犬山の顔が消え、また新たに人の顔が現れた。
自分のだった。自分の顔。ぱっちりとした大きな眼。長い、長いまつ毛。降る雪のように真っ白な肌。そして、自分の指先のようにすらっとして、少し尖っている口元。紛れも無い。顔のパーツ一つ一つが。全て、全て――僕のものだ。現れた僕は笑っていない。怒ってもいない。さっき現れた5人の顔のように無表情だ。何故5人の次に僕が。
 そこで、気づいた。まさか、犬山の次が僕だというのか? 次に死ぬのが――僕だというのか? いや、正確には犬山の次ではない。10分ほど前の爆発。しかも3連発だった。ほぼ同時刻に3人が死んだのだ、同時刻に。そこで初めて、自分が震えているのに気づいた。僕が3人の次だというのか? 僕がこのゲームの次の脱落者だというのか?
 木鳥は頭を両手でかかえ、雑草が生い茂る地面にひざをつきしゃがみこんだ。そして、眼を閉じてから、一つ大きな深呼吸をした。眼を開けると、無表情な自分の顔は消えていた。そうだ、今のはただの幻覚だよ、幻覚。何で僕はただの幻覚にあんなに怯えていたんだろう? 怯え損というものだよ、全く。

木鳥はしゃがみこんだ拍子に落とした島の地図を開いた。
そして、現在までに指定されている9つの禁止エリアを全て再確認し、自分の現在地がE−5だということも確認した。木鳥は地図を閉じて、これからの自らの行動について考え始めた。聞いたことの無い銃声が多発している。パン、ではなく、パパパ……、といった感じの音だった。おそらく、正午の放送で呼ばれた5人のうちの何人かは、この銃声の餌食となったのだろう。
だとしたら、ここから下手に動かない方が賢明なのかもしれない。この銃声の主を誰かが殺してくれるまで、待つ。それが現在までに考えられる、このゲームの最善策だろう。――しかし、しかしだ。このゲームの主体は殺し合いだ。逃げて隠れることではない。ふと、剛田武に追いかけられる自分が頭に浮かんだ。ああ、数ヶ月前の僕だ、と木鳥は思った。

 不敵の笑みを浮かべ、拳を振り回しながら追いかける剛田武。ヒイヒイと過呼吸になりながら、恐怖で顔がゆがんでいる僕。僕はこの3分後、疲労の果てに前倒し、顔やひじ、ひざこぞうなどに大きなすり傷をつくってしまった。そして言うまでもなく、剛田武は倒れている僕を見つけるとすぐに暴行に及んだ。
「殺されたくなかったら、金出せやコラァ!」
剛田武の恐喝に僕は逆らえるわけもなく、財布ごと突き出した。財布を突き出すと同時に、僕は気を失ってしまい、その後のことはよく覚えていない。
 木鳥はハッと我に返った。そして、半ば開いているセカンドバッグからのぞくサーベルを見た。そのとき、一つの考えが木鳥の頭をかすめた。
『剛田武を、殺そう』
こっちには強そうな剣がある。名前は知らないが、見たことはある。この剣を使って、剛田武の、あの憎き不良の頭から下腹部までを切断する。――いや、心臓を一突きがいいだろうか? 木鳥の口元には笑いが浮かび始めていた。この世で自分の一番嫌いなヤツを、自らの手で殺す。これほど楽しいことがあるだろうか?
 しかし、次の瞬間木鳥の高揚感は害された。
木鳥の頭に、最悪の展開がよぎった。もし、もし剛田武が、あの、あの聞いたことの無い銃声の主だとしたら……。木鳥は再び自分の体が震えていることに気づいた。落ち着け、落ち着けよ僕。そんな、そんな奇跡的なことがあるわけないじゃないか。木鳥は自分にそう言いか聞かせたものの、頭から最悪の展開は離れず、体の震えも止まらなかった。

 そのときだった。ふと、誰かの視線を感じた。木鳥はハッとして周囲を見渡した。しかし、周囲には誰も見当たらなかった。木鳥は首をかしげると、次の瞬間腰が抜けていた。良かった、誰もいない。木鳥はそう思い、安堵の息をもらしたときだった。カラスが、鳴いた。木鳥はカラスの鳴き声で我に返り、つい10分ほど前に鳴いたカラスがいた木の枝を見た。カラスは、まだいた。しかも、こちらをじっと見つめているように思えた。次の瞬間、カラスは再び鳴き始めた。しかし、木鳥にはカラスが笑っているようにしか見えなかった。次にこのゲームで死ぬのはお前なんだぞ――そういう思いが込められた笑いにしか、木鳥には見えなかった。木鳥は腹が立ってきた。カラスはまだ笑っていた。僕は死なない。いや、死ねない。少なくとも、自分のこの手で剛田武を殺るまでは。カラスはまだ笑っていた。笑うな。やめろ。僕をあざ笑うな。木鳥はそれを頭の中で復唱しながら、足元に落ちている(小石にしてはやや大きい)石を手に取った。
「僕をバカにするなあああっ!」
 木鳥はそう叫びながら、笑っているカラスへめがけて、手に取った石を全身全霊を込めて投げた。石は、笑っているカラスがとまっている木の枝に当たった。木の枝に当たった石は、木のすぐ下の茂みに落ちていった。カラスはとても驚いた様子で、黒い羽を何枚か落として逃げていった。ざまあみろ。木鳥がそう思いながら、ニヤリと不敵に笑ったときだった。
 がさり。
 さきほどカラスへ投げた石が落ちた茂みから、何かが出てきた。
人間だった。男だった。右手で頭をさすっている――剛田武だった。木鳥は茂みから出てきた何かがそれだということを認識すると、口元から不敵な笑いは消えていた。

じゃ、ジャイアン! 
僕の、一番殺したかった相手。どうしたんだ、僕? さっさと、殺せよ!
剣で、あいつを突き刺せよ! 一突きで死ぬように、きちんと胸を狙って――!

 剛田武は、こちらをまっすぐに見つめていた。しかし、体はまだふらついている。まさかこの男は、草むらの中で寝ていたというのか? 誰に殺されるかもしれないという、まさにこの状況で? 
 油断。その通り、そうだ。こいつは、油断していたのだ。まさか、こんなところに人が来るわけが無いと。確かにこのE−5のエリアは、人はあまり来なさそうだ。すぐ隣は禁止エリアで、川にも近い。もし、敵に出会って逃げようとしても、逃げ場が無い。だが、あえてこの男はそこを選んだ――逆に言えば、こんなエリアには人が来ないと思ったのだ。
 バカだなあ、ジャイアン。さすがに授業に出なかったことだけはある。
その考えを持ったのは、お前だけじゃない。僕も、そう考えたのさ。ひとまず、人の居なさそうな場所で、お前の殺害計画を練ろうとしていたんだ。なのに、お前はスヤスヤとお昼ねしていたんだ。まさに、僕の前で。
 落ち着け。

「木鳥。わざわざ、俺を探しにきてくれたのか」
剛田武は、そう言いながら黒いTシャツについた細かい草を左手で払った。
「探す? いや、偶然だよ。ぼくも、まさかジャイアンに会えるとは思わなかったよ」
 そのとき、木鳥は初めて剛田武の武器を見た。右手に、何か迷彩柄のものがくっついていた。剛田武は、ゆっくりと木鳥に向けて歩き出した。
メリケン?昔の不良マンガに出てきそうな奴。はは、相手にならない。そんなもので人が死んだなんて話、聞いたことが無い。万が一これで殴られても、怪我はしても死にはしない。
 ……いいぞ、来い。木鳥は、顔には出さずにほくそ笑んだ。お前は、僕に殺される。僕は、お前を殺す。遂に、僕の願望がかなうのだ。

 木鳥の随分近くに来て、剛田武は歩を止めた。
「お前さ。食いもん持ってねえか? 俺、さっきの昼飯で乾パン無くなっちまったんだ」
「ええ? 全く、ジャイアンは食いしん坊だなあ」
「へへ、まあな。ちょっと分けてくれねえか?」
 分けてくれ?バカじゃないのかこの男は? このゲームは、殺し合いなんだ。所詮、ただの喧嘩っ早いその辺の中身の無い空き缶に過ぎなかったのだ、剛田武は。全く、こんな奴に僕の美容に必要な資金をせびり取られていたかと思うと、本当に腹が立つ。
 剛田武は、物ほしそうな顔で未だに僕を見つめている。

「いいよ、ちょっとだけならね。今、出すよ――」
食料を出す振りをしながら、剣を取り出す。動揺した剛田武を、刺す。しかも、すぐに剣でさせる範囲に剛田武は立っている。
 勝った。
木鳥は、セカンドバックを開けるために後ろを向いた。

後ろで、剛田武の間抜けな声が聞こえた。
「やっぱ、いいや。ちょっとじゃなくて――」
 訂正?遅すぎる。 自分でも驚くほど、剣の鞘を抜くことができた。
「ほら」
 木鳥高夫は思いっきり、サーベルを剛田武に向けて突いた。

『カチン』
 え? 
木鳥高夫は、完璧なまでにサーベルを使いこなした。突きも、素人とは思えないほどの勢いで突いた。
 ただ、そのサーベルの先、そこには剛田武の胸でも腹でも頭でもなく、右手があった。右手には、彼が過小評価していたメリケンがあった。
 木鳥のサーベルを、剛田武は右手に装着したメリケンによって止めた。
「木鳥、ちょっとじゃなくて、全部くれよ」
「ひ……ひい」
「食料だよ」

 ズゴムッ……!

 木鳥高夫は、自分の胸に何か入った、ということを認識した。しかし、痛みは感じなかった。恐怖心。剛田武の、剣よりも強い彼の威圧、機転、眼力、全てのものに敗北感を感じた。絶望――
 この二つの感情により、木鳥は自分が致命傷を受け、即死したいう事実に気づく前に死んだ。

「ボーン!」
「え〜、今爆発したのはH-6です! 何度も言うけど、禁止エリアには入らないようにな〜〜」


 木鳥の胸には、剛田武の、メリケンを装着した右手が入っていた。
カラン、と木鳥の右手からサーベルが落ちたのと同時に、剛田武は思いっきり、右手を木鳥の体から引き抜いた。
 ぐちゅう……。

剛田武ことジャイアンは弱いな、と思った。
メリケンについた血を、とりあえず左手で払った。何発か殴って、半殺しにして、命乞いをさせて、とどめを刺そうと思ったのだ。
 それなのに、メリケンつきの右手で一発突いただけで、死んじまいやがって。同じ小学生の不良でも、死ななかったぞ。
 けっ、木鳥のくせに、俺を殺そうとしたのか? 俺に逆らうから、死んだんだな。バカな奴だぜ、全く。

 とりあえず、手つかずの食料と水をセカンドバックの中から取り出した。そして、食料である乾パンを3分も経たないうちに食べ終えると(ほとんど飲むという状態)、2本のペットボトルもさっさと飲み干した。
 プハッと息をつくと、また寝転んだ。

 剛田武は、朝の午前6時26分に小屋を出た。とりあえず殺し合いには参加するという方針を定めたものの、ものすごい眠気に襲われた。そこで、今が朝であるということを認識すると、とりあえず寝ることにした。
 しかし、いざ寝ようと思っても、誰かが居たら――寝たら最後、二度と起きられない可能性だって十分にある。
 剛田武はそこまでは考えなくても、とりあえず人が比較的来なさそうな場所を地図で探した。しかし、10×10のマスのエリアは、全て同じようにしか見えなかった。それで結局、鉛筆をダーツのように持って、当たったエリアに寝ようと考え、E−5を選んだのだった。
 小屋の裏手に回り、そこからまっすぐに300mほど北に歩き、やっと落ち着けそうな場所を見つけた。草むらの上に、大きな岩がどんと突き出ていた。セカンドバックをその辺に放り投げ、とりあえず岩にもたれかかり――すぐに眠りに落ちた。

 やけに大きな何かの声が聞こえ、剛田武は目を覚ました。首に湿り気を感じた。汗をかいていると感じたとき、今が昼で、今聞こえているのはその昔、クビになった先公の声だと分かったのだった。
「……うん、昼食が終わった人からまた再開すること! プレートも、上手く使うように! それじゃあ、みんなまた6時に会おうな〜〜」
 放送が終わると、さっき投げたセカンドバックを探した。腹が減った。
剛田武は、セカンドバックから早速食料とペットボトル2本を取り出すと、食事を始めた。しかし、すぐにそれは終わった。食料である乾パンの袋は空となり、ペットボトル2本も草むらに転がっていた。
 彼にとって、二日分の食料と水は一日の食事一つ分に過ぎなかった。いや、むしろそれ以下だった。
 やけにムチャムチャする口の中をペットボトルの残りの水滴でゆすぐと、また寝転んだ。

 しばらくして、顔面に大きな痛みが跳ねた――


 自分の道筋を思い出した後、すぐに剛田武は起き上がった。禁止エリアとか、俺つけてたっけ? お、そうそう。木鳥のことだから――丁寧にメモしてあるはずだ、多分。

 剛田武は、木鳥の口の開いたセカンドバックをさかさまにした。すると、上等そうな水色のペンケースと、コンパス諸々と……最後に、地図が出てきた。ニヤリと笑うと、その地図を拾い上げた。
 思ったとおり、その地図には細かい文字で禁止エリアがきれいに書き込まれていた。木鳥、お前は最後までいい奴だったぜ、全く。本当に、お前みたいな都合のいい奴が死んで、俺は残念だ。お前がこのゲームにまで財布を持ってきてたら、その金で葬式くらいやってやっても良かったんだけどな。ん? 葬式ってもっと金かかったっけか?
 剛田武は、さっきの聞こえたエリア、H-6を木鳥の遺品である鉛筆で乱暴に、これも木鳥の遺品である地図に乱暴に書き込んだ。

 10mほど先には、ついさっき胸をメリケンを装着した右手で突かれた木鳥高夫が転がっている。まだまだ出血は止まらない。

 その近くで、また剛田武は三度目の眠りについた。

 剛田武が眠りについた場所の近くの木の枝に、さっき木鳥を見て鳴いたカラスが戻ってきていた。カラスは、剛田武が眠っている場所から10mほど離れて転がっている木鳥高夫に目をやった。そして、鳴いた。まるであざ笑うかのように。ざまあみろ、と。





 「……さん、シャーリーさん……」
誰かが呼んでいる。高い声。変声期の男にとっては絶対に発せない声。女の声だと分かった。重い、重いまぶたを開いた。
「シャーリーさん!」
安堵する源静香(女子20番)が見下ろしていた。それを認識すると、一気に全身の血の気が騒いだ。自分はいつの間に眠っていたのだろう。しかも無防備にも、この女の前で。次の瞬間、シャーリー・ララドルフ(女子13番)はとっさに体を起こし、乱れた銀の長髪をふるいながらジーンズのポケットの中の警察用ピストルを取り出し、目の前の少女を押し倒してポケットの中の物を突きつけていた。
「これから、お前にいくつかの質問をする。答え方次第では、このピスト ルの引き金を引く――いいな?」
静香は黙ったままうなずいた。さっきまでの安堵の表情は消え、恐怖に歪み始めていた。
「お前、私に何をしていた」
シャーリーの冷徹な声だけが辺りに響いた。そして、静香の鼓膜にも。
「な、何してたって……、シャーリーさんがここで倒れてるのをさっき見 つけて起こしてたのよ」
そう言った静香の視線はシャーリーには向けられてはいず、今、まさにシャーリーが握っている警察用ピストルに向けられていた。その視線の発する顔は銃を突きつけられたときから変わらず、恐怖に歪んでいた。
「何故、私を起こした」
シャーリーの冷徹な声の調子はさらに増していた。
「何でって……、それは誰だってそうするはずよ。このままあなたを放 置してたら、さっきから妙な銃声を撒き散らしてる人に会って殺された かもしれないのよ」
静香は顔を引きつらせながらも、やや強腰にそう言った。
「お前に私は関係ないだろう」
シャーリーの声の調子は冷徹なままだった。
「関係ないですって? それは違うわ」
静香はさっきよりも強腰に反論した。顔のひきつりが緩み始めていた。
「何がだ」
シャーリーは少し苛立ち始めていた。こいつ、自分の立場分かってるのか? 銃を突きつけられてるというのに、いい度胸だ、と思いながら――。その間に、静香の反論は続いていた。
「私達クラスメートじゃないの。それに――」
「それに、なんだ」
シャーリーは苛立ちながらも、静香の話を促した。
「同じ、女の子じゃないの」
静香が、一瞬何と言ったのか分からなかった。同じ女の子?
「なんだそれ、意味が分からない」
シャーリーの口から、自然とその言葉が出ていた。
「分からなくてもいいの。ただ、無事でよかったわ」
そう言った静香は、安堵の表情に戻っていた。こいつは馬鹿なのか? 銃を突きつけられているというのに、安心しきった顔を浮かべている。私を油断させて、殺すつもりなのだろうか? だが、私はここでこんな女にやられるほどヤワじゃない。私には、経験がある。そして、自信もある。絶対こんな女に負けない。シャーリーはいろいろ思索をめぐらせたが、質問を続けることにした。
「ここはどこか分かるか」
「I―2よ」
静香の声は平常に戻っていた。そして、表情も。
「地図を見せろ」
「そこにある私のセカンドバッグに入ってるわ」
「取れ」
シャーリーは警察用ピストルを静香に突きつけたまま、静香から離れてあごで促した。静香はゆっくりと立ち上がり、セカンドバッグへと赴いた。
ほどなくして、地図を片手に歩いてきた。そして、黙ったまま突き出した。シャーリーは依然として静香から銃口をずらさなかった。そのままの状態で、ジーンズのポケットから自分の地図を取り出した。自分が眠っている間に新たな禁止エリアが追加されたかもしれない。そんな考えから静香の地図を貸してもらうことにしたのだった。自分が眠ってから、新たに追加されたエリアは4つだった。I―1、A―7、E―10、H―6。鉛筆でしっかりと塗りつぶした。それが終わると、静香に地図を返した。静香は黙ったままだった。シャーリーは左腕の腕時計を見た。午後2時を少しまわったところだった。自分は本当に今まで何故眠っていたのだろう。こんなに長い間、本当にいつの間に。シャーリーがそう思ったときだった。
「シャーリーさん!」
静香は叫んでいた。目の前で倒れこんだシャーリーを見て。シャーリーは、手から警察用ピストルが落ち、自らが押し倒した静香の体に重なっていた。ひどい痛みが頭をしびれさせた。頭を両手で抑え、うめかずにはいられなかった。
「シャーリーさん? シャーリーさん!?」
静香は起き上がり、シャーリーを支えるように抱えた。静香の腕の中でシャーリーはがんがんと響く頭の中で思索していた。思い出せない。3時間前、私はここに来た。そこまでは覚えているのに、記憶の続きが出てこない。思い出せない。その記憶の部分だけ消しゴムで消したように真っ白だ。記憶の続きを思い出そうとするたびに、痛みが増すように感じられた。
まるで、痛みが記憶の続きに鍵をかけているようだ。そこで、シャーリーは痛みがおさまるまでは、記憶の続きを思い出さないようにすることにした。――すると、不思議なことに痛みがひきだした。再び、重い、重いまぶたを開いた。静香の不安げな顔が視界に入った。
「大丈夫? シャーリーさん」
「二度もすまない、もう大丈夫だ」
 シャーリーは静香の腕の中から立ち上がった。警察用ピストルも拾いながら。また、警察用ピストルを見、不安げな顔で自分を見つめている静香を見て思った。この女は、私を殺す気などなかったのだろう。私が倒れてこの銃を落としたとき、この女は銃を取って私を殺さなかった。最初から殺すつもりで近づいてきたなら、私が銃を落とした時点で、銃を取って私を殺してるはずだ。それなのに、この女はそうはしなかった。それどころか、おせっかいに心配してきた。自分に銃を突きつけた相手を心配するなんて――本当に、とんだおせっかい女だ。シャーリーは、近くに転がっていたセカンドバッグを右肩にかけ、I―3に向かって歩き出した。そのとき、後ろから静香の声がした。

「頭痛、本当にもう大丈夫なの?」
シャーリーはひとつため息をついて、振り返って言った。
「ああ。人の心配より、自分の心配した方がいいと思うが」
静香は少し怒った表情を見せたが、すぐに小さく笑った。それを見ると、シャーリーはまたひとつため息をつき、再びI―3に向かって歩き出した。
「気をつけてねー!」
静香のおせっかいな声が、後ろから再び聞こえた。本当におせっかいな女だ、とシャーリーは半ば呆れてそう思った。I―3にさしかかったとき、シャーリーはつぶやいた。
「ありがとう」

 遠くで、カラスが飛び去っていくのが見えた。

【残り32人】


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