逃走記


速記

 逃げなければ、ならない。
 俺は知ってしまったのだ。「あの事」を。知ってはいけない「あの事」、そう俺は知ってしまったのだ。
 後ろから聞こえて来る足音と敵の荒い息。
 確実に、「奴等」は近づいて来る。「あの事」を知ってしまったのだから、まぁしょうがないであろう。捕まりたくは無い。俺は死にたくない。「奴等」は未来兵器を所持しているだろう。
 生き残れる可能性がある方法はこれしかない――
 俺が今から行く場所すらも分からない。海に落ちるのか、谷に落ちるのかそれとも幸運にも都会へと行くのであろうか。分からない。
「待て! 待つんだぁ!」
 「奴等」はもう来ている。決断は早くしなければならない。
「世紀は……どうでもいいな」
 俺は「奴等」から逃れるが為に時空の旅へ旅立つ。

逃走記 


2月26日〜3月2日

?月?日 くもり
 どうやら、「奴等」からは逃げれたらしい。
 タイムベルトは、壊れている。今、俺がいる時代・月さえも分からない。肌を突き刺す様なこの寒さ。この寒さだと恐らく、季節は冬であろう。
 俺が移動したところは空き地らしい。丁度、土管を見つけた。あの中で眠ろう。
 今は心がかなり疲れている。
              3月2日追記 この時の日付が判明。西暦2006年2月26日。

3月2日 晴れ 年・日付が判明。

 土管の中で目覚める。外の天気は晴れ。
 疲れがほぼ取れたので土管から出て、自分の所持物を調べる。「壊れたタイムベルト」「この日記帳」「シャープペンシル」「袋」
 その所持物を袋に入れ、俺は空き地から出て行った。俺がやって来た日に比べるとかなり暖かくなっている。
 空き地の外の道路は22世紀とはやはり違う。そう、ガキの頃の授業でならった「コンクリート」から出来ているのであろう。地面は硬く、慣れるまで時間がかかった。
 辺りに広がる住宅街、そして走ってくる車。排気ガスの多さに驚いた。
 上記の事からその時の俺は「20世紀〜21世紀」頃の時代だと推測する。そしてそれが正しかったわけだが。
 空腹感を感じた。辺りを見回して追手がとりあえずいないと確認できたからであろうか。よく考えると、タイムベルトで移動した時から何も口に入れていない。
 ポケットを探ると小銭が少し出てきたが、もちろんこの時代のものでは無いので使用不能だ。
 俺はフラフラと道路の端の方を歩き回り、何か無いかと探し回る。この時代の小銭でも落ちていれば――
 そんな気持ちだったのであろう。
「ん……?」
 その時、何処からか暖かな臭いが感じられた。空腹の俺はその音へ引き寄せられるかの様に付いていく。
 キーンコーンカーンというベルの音。その音から察せられる様にそこは小学校であった。するとこの臭いは給食の臭いであろう。俺の元気が一気に抜けた様に感じた。
 帰ろうとした時、学校の黒板を思い出した。そう、日付が書いてあるかもしれない。
「もしかしたら」
 俺はそう呟きながら一階の教室をのぞいた。幸い、誰にも気づかれていない。教室の黒板を見るとそこには「平成18年3月2日木曜日」という汚い文字が。これにより、俺は日付を知る。
 だが、空腹感は収まらない。
 色々と歩き回ったが、結局特に収穫も無く一日が終わる。
 日付だけが判明。これを書き終わったら寝ようかと思う。


2009年7月17日

もう、何年も経ってしまった。最後の日記を書いたあの日から、もう何年も。日記を見ると最後の日が平成十八年だから、三年も経ってしまったことになる。
 昨日のことが、思い出せない。昨日、自分は何をしたのか。それすらも。日記を書いておけば良かったのに。
 そもそも、私は何から逃げていたのだろうか。それすらも思い出すことができない。何てこった。
 今いる場所は何処か。どうやら、あの空き地の土管らしい。この感触にも、すっかり慣れてしまった。慣れた? いや、昨日も俺はここにいたのか? 何も思い出せない自分に驚いた。
 駄目だ、このままじゃ駄目になる。俺は考える。よし、思い出そう。まずは名前からだ。
「……なまえ?」
 名前―― そうだ、俺の名前? 何だ? 俺の名前。俺の名前は何なんだ! 何だったんだ、俺は!
 思い出せない。何も思い出せなかった。
 俺はなんでこんな心境をこの日記に綴っているんだ? 何でだ、何でだ?
 落ち着け、落ち着け。私は私に問いかける。私? 数行前を見ると私ではなく俺と言っているぞ。いや、その前は私と書いている。いや、ページを前の方に戻すと一人称は俺だ。ああ、何だって

いうんだ!
 駄目だ。このままじゃ、俺、私は本当に駄目になる。
 まず、確認しよう。俺は男だ。これは間違いない。胸は膨らんでないし、顔もどっからどう見ても男だ。これは、間違いないんだ!
 そして、俺は誰だ? 誰だ? 誰だ? 誰だ? 誰だ? 
 何から逃げていた? 今、何処にいる? 何故日記を書いている? 何で、何で。何でだ? 何にもだ。何もかも分からない!
 俺は、俺は、俺は、誰なんだ?
 日記をめくる。俺の名前は出てない。俺は、何から逃げていたのかもわからない。逃げていた、その感覚だけしか残っていない。畜生! 思わず叫びたくなる。
 何だ、俺は何から逃げていたんだ。さっきから何回繰り返している。さっきから、何回この日記に書いている。さっきから、何回。さっきから、何回!

 俺は本当に存在していたのか?

 湧き上がる疑問。そして、その異常な説得力。俺は、俺は存在していなかったんじゃないのか? 俺は、今も存在していないんじゃないのか? ぐらり、と世界が揺れる。ぐらり、ぐらり、ぐら

り!
 俺がこの世に確かに存在していたという証拠が何処にある! ああ、そうだ、俺はいなかったのだ。そうに違いない! いや、他の人間もそうだ。皆、皆、存在していると思い込んでいるだけな

のだ! そうなんだ、そうなんだ!
 急に、不安感に襲われる。なんだ、この不安感は、「奴等」だ。俺が日記に書いていた「奴等」はこの不安感のことなのだ! 違いない! 「奴等」が襲ってくる。
 俺は、知ってしまったのだ。この世の全てを。思い込んでいるだけ、皆、皆! これが、日記の「あの事」なのだ!
 逃げたい。そういう欲求がわき出てくる。逃げる、逃げるべきなのだ。
 日記のページがめくれる。逃げる時のページ。
 日記の文字を見る。時空の旅! 「タイムベルト」だ! 俺はポケットを探り、「タイムベルト」を取り出す。ああ、そうか、これでループするのか? あの、記憶に残っている逃げる部分は今

起きている出来事だったのだろう。
 そして、俺は「タイムベルト」のスイッチを押した。世紀は、何処でもいいな。

 ……だが、時空間へと飛ばなかった。「タイムベルト」は壊れていて、俺の体には土管の冷たい感触しか伝わってこなかった。

(日記が書かれていたページは2006年2月26日、2006年3月2日、そしてこの2009年7月17日の三ページのみ)


5.クライマックス

「もう遅いぞ、坂上。全ては終わったんだ!」
 泉麻人はそう言いながら、坂上夏也に向けて言い放った。雨の中、その声は驚く程よく響いた。場所は空き地。土管の前に、坂上はただ立っていた。雨に濡れるのを構わずに、立っていた。
 泉はレコーダーを発動した。左腕に埋め込んであるレコーダーは場の様子から何から何まで記録できる。何が起ころうとも大丈夫。それは、泉の保険だった。泉も、雨に濡れるのを気にしていな

い。
 泉の周りには数人の少年が立っていた。ドラえもん、のび太、ジャイアン。三人はただ、ボーッとその様子を見守るだけだった。
 雨は、どんどん強くなる。
 坂上は舌打ちをしながら、泉の方を向いた。坂上の顔は泉が思っていたよりも痩せこけていた。泉がこの町にいることに気付いた時からずっとあったであろう不安感のせいだろうか。坂上はキョ

ロキョロと落ち着きもなく周りを見渡す。
「もう、終わりなんだ。坂上」
「泉さん、終わり。本当に、終わりだと思うのか?」
「終わりに決まっている! お前に、次の一手は無い。そうだろ?」
「はは……はは! あるよ! あるんだよ!」
 坂上はそう言うと左手の手首に、右手を「突っ込んだ」泉は驚く。何をやっているんだ、という気持ちが出てくる。だが、すぐに気づく。自分がレコーダーを左腕に埋め込んでいたのと同じよう

に、坂上は左手首に「四次元ポケット」を仕込んでいたのだ。
「思い出したよ、思い出したよ! ここに来た時はさあ、タイムベルトとか袋とかシャーペンとか、使えないものしかなかった。だから真面目に働いて生活してたんだけどよ! でもな、左腕にあ

ったんだ! 全てはな!」
「何をやる気だ!」
 泉は坂上に飛びかかろうと体勢を整える。だが、坂上との距離はあまりにも離れていた。泉は空き地の入り口。坂上は空き地の土管の前。のび太が唯一、飛びかかれそうな位置にいたがのび太に

飛びかかれと命令するわけにもいかない。泉は舌打ちをする。
 どうすればいい、どうすればいい? 泉は考えるが、答えは出ない。
 そして、坂上は左腕から何かを取り出した。その何かは、電話機だった。時空間を超えて繋げるだけの、電話機。それだけだった! 泉はポカンとする。何をする気なんだ?
 坂上はニヤリと笑う。そして、電話機を耳に当てる。
「まだ気付かないのか? いいかい、これはインターネットに繋げた。そして今、俺は! 俺は!」
「何をするんだ!」

「はは! 「地球破壊爆弾」のパスワードを言うのさ! いくぜ!」
 泉の頬を、冷や汗がつたる。坂上が知ってしまった秘密、地球を崩壊させる、その秘密。それを、坂上が喋ろうとしたのだ。泉は動けない。自分が動いても無駄だということを肉体が知っている

。肉体は、動いてくれなかった。
「パスワードは」
 だが、坂上のその言葉はそこで終わった。のび太だった。
 のび太の手には、「わすれろ草」が握られていた。「わすれろ草」は「スペアポケット」から取り出したものだろう。のび太は昨日から「スペアポケット」をドラえもんから借りていた。
 泉の体から、力が抜ける。坂上は、パスワードを忘れたのだ!―― 


 ※

 くそ、くそ! どうしてだ、どうして思い出せないんだ! 坂上は舌打ちをする。目の前にいるのび太を睨みつけるが、パスワードは思い出せない。
 そうだ、解毒剤を使えばいいんだ! 坂上は思い出す。その薬の存在を。それに火をつければ、あっという間に全てを思い出す。思い出すまで待つまでもない。それさえあれば、それさえあれば


 坂上は左腕の四次元ポケットを探る。ライターは普通のズボンのポケットに入れていた。平べったい缶を探る。幸い、泉は力が抜けて上の空だ。それなら止めることはできないだろう。思い出す

、思い出すのだ! 電話機は既に足もとに放り出していた。思い出してから拾えばいいことだ。
 平べったい缶を探り当てる。やった! 右手でそれを取り出すと、左手でポケットからライターを取り出す。右手で器用に缶の蓋をあけると、そこから粉が出てくる。
「坂上! 馬鹿!」
 そして、粉に火がついた。

 ※

 坂上が火を点けたのは、「わすれろ草」の解毒剤ではなかった。「わすれろ粉」だった。これに火を点けて出る煙を吸うと、「わすれろ草」の何十倍もの効果がある。色んなことを忘れてしまう

のだ。
 「わすれろ粉」は火を点けることによって爆発し、その煙が空き地を包んだ。
 だが、坂上はこの後捕まり、事件はこれによって終わりとなる。この後の戦いはもう無かった。


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