最初に『彼女』と出逢ったのは、土砂降りの雨の中だった。
あの日、僕は発売日だったマンガを買いに本屋へ出かけていた。
ざあざあと降る雨は傘に当たり、騒々しい音を立てていた。
だから、僕は背後にいた『彼女』に気づけなかったのだ。
本屋まであと少し、信号がもう少しで青に変わるその時だった。
後頭部にガツン、という衝撃。それから遅れて来た強烈な痛み。そしてスローモーションのようにゆっくりと倒れる僕の体。
残った意識を振り絞り、後ろを振り向いた僕が見たものは……


原作 『妄想代理人』 『怪談と踊ろう そしてあなたは階段で踊る』

アカイズキント、サビタカナヅチ、ソシテワラウキミ。
第零夜

前日
野比のび太 17:34:24

「のび太くん、のび太くん、大丈夫かい?」
名前を呼ばれた気がして目を開ける。白い天井とカーテンが目に入った。
むくりと体を起こして辺りを見回す。消毒液の匂いが鼻を突く。ここはどうやら病室らしい。
側には心配そうな顔をしたドラえもんとパパとママがいた。
「ドラえもん……パパ、ママ。どうして……ううっ」
頭に強烈な痛みが走る。そうだ、確か僕はマンガを買いに行って……
「殴られた……金槌で頭を殴られたんだ」
「そのとおり、あの時僕の車が通りかからなければ君は今頃死んでいた、というわけだよ」
部屋の隅に男が立っていた。歳は20代半ばだろうか。黒のスーツを着こなし、口には禁煙パイプを銜えている。
「ん? これかい、ここでは煙草はダメだろう? そういうときにはこいつを吸っているわけさ。それで、二人だけで話したいことがあるので、ご家族の方々はちょっと部屋の外で待ってていただけませんでしょうかね?」
パパとママとドラえもんが外に出たことを確認すると、男は僕に近づき、懐から手帳を取り出した。
「け、警察の人ですか?」
「黒井和人(くろいかずひと)、捜査一課だ。ここ最近多発している連続通り魔事件を追っててね。それで、もしよかったら君を殴った犯人について覚えている事を教えて欲しいんだが……」
とりあえず僕は意識を失う寸前に見た犯人の容姿について話した。
赤いずきん、フリフリのスカート、腰まで届いた長い三つ編み。そして右手に持った錆びた金槌。
「なんてこった。まるでグリム童話の『赤ずきんちゃん』じゃないか。本当にそんな格好をしていたのか?」
「はい、顔はよくわからなかったんですが……」
「よし、なら僕の役目はこれでお終いだ。何か思い出した事があったらこの携帯の番号にいつでも連絡して欲しい。それじゃ、お大事に」
黒井刑事はそういって病室を出て行った。入れ替わりにパパとママとドラえもんと医者が入ってきた。
医者の話によると当たり所が良かったらしく、5日もすれば退院できるとのことだった。
5日……ちょうどテストの日を挟んだ後だ。僕はお見舞いのゼリーを食べながら喜んで医者の話を聞いていた。
だが、心の中にはまだあの『赤ずきん』の事が引っかかっていた。
僕を殴った犯人『赤ずきん』……『彼女』は一体何者なのだろうか……
ゼリーを食べ終わった後、僕はやすらかに眠りに付いた。

夢の中で僕は、買う予定だったマンガを読んでいた。
場面はいよいよクライマックス、ドキドキしながらページを巡る。
と、なにやらページがくっついて読めなくなっている所があった。
爪を引っ掛けて剥がすと、何やらむわっとした匂いがあたりに漂った。
見るとページは血でべっとりと張り付いており、おまけに髪の毛までくっついている。
あわてて閉じようとするが、手が金縛りにあったように動かない。
血で濡れたページがぶくぶくと泡立ち、血が溢れ出す。
その血の海の中から赤いずきんがにゅうっと飛び出し、やがて全身が現れる。
彼女は腰が抜けて立てない僕の頭に金槌を振り下ろ……

夢というのは見る人の知能程度が現れると以前スネ夫から聞いた事があった。
だが、そのような単純なものではないというもまた事実だろう。
悪夢から目覚めた僕は目がギンギンに冴えていた。それと同時に喉がカラカラに渇いている。
ベッドの脇においてあるコップをとろうと手を……出そうとしたが動かない。
馬鹿な。一体どういうことなのだろうか。
ふと側に何者かの気配を感じた。ママでもドラえもんでもない。もっと冷ややかで氷のような冷たい感じのする気配だ。
ダメだ、見たらダメだ。見てしまったらきっと……

見てしまった。

赤いずきんにフリフリのスカート、腰まで届いた長い三つ編み。そして錆びた金槌。
顔は……無かった。まるでそこだけ闇を切り取ったが如く。
しかし、闇の奥から声がする。もう逃がさない。逃れることはできない……と。
途端、彼女の氷のような腕が僕の首をつかんだ。まるで万力のような力だ。
そして彼女の金槌は、僕の頭に振り下ろされ……


初日
野比のび太 01:57:49

「うわあああぁぁぁッ!!」
自分でも驚くような絶叫を上げ、僕はベッドから飛び起きた。
幸いこの病室には僕以外は誰もいない。
ふう、と溜息が出る。体が寝汗でびっしょりだ。脇においてあったタオルで汗を拭く。
コップを手に取り、水差しに入っていた水を飲む。時計を見ると午前2時だった。
ふとトイレに行きたくなった。まだ頭がふらつくが、漏らす訳には行かない。
壁伝いにトイレへとたどり着き、用を足す。
蛇口をひねって水をだし、手を洗う。
「ん?」
一瞬鏡に赤い何かが映ったのだ。また夢なのだろうか?
と、トイレに異様な匂いが漂っているのに気づいた。
鉄、いや、それにしてはあまりにも濃厚すぎる。
そう、これは血の匂い。一体何処から……?
奥、一番奥の個室からだ。ノックをするが、返事は無い。
鍵はかかっていないようだ。僕は個室のドアを開け……

見てしまった。

『それ』が辛うじて人だとわかったのは着ている白衣であった。
問題はその白衣の首から上である。
何度も何度も硬いものでやられたのか。最早彼の元の顔がどのような物であったのかを判別するのは不可能だろう。
顔が…無かった。
正確には、顔面をグチャグチャに潰された死体であった。

うるさかった。周りが何故かうるさかった。
その原因が自分の悲鳴であったと気づいたとき、僕は駆けつけた医者の腕の中で意識を失っていた。


そしてこれこそが、後に『赤ずきん事件』の名で知られる一連の出来事の始まりであった。


初日
源静香 15:43:28

のび太さんが入院した。
初めてその話を聞いたときは珍しい事もあるものだと思った。
事実、のび太さんは今までに病気などで休んだ事はあっても入院だけはしていなかった。
しかも噂によればのび太さんは『赤ずきん』に襲われたのだという。

『赤ずきん』…… ここ数ヶ月の間、私たちの間ではその存在が疑われ、最近になって目撃者が多発している怪人……
それにのび太さんが殴られた……

そのような事を考えていたせいか目の前に注意が向かなかったのだろう。私は大きな何かにぶつかった。
「おっと、危ないよ静香ちゃん」
「あ、ごめんなさい。ちょっと考え事をしていて……」
スネ夫さんと武さんだ。こんなところで何をしているのだろう?
「これからのび太の見舞いに行こうと思ってな。静香ちゃんも行くかい?」
もちろん行くに決まっている。病気ならまだしも、襲われたとあってはのび太さんの身が心配だ。
ママにのび太さんのお見舞いに行くとのメールを送り、私たちは病院への道を急いだ。

「それにしても、のび太さんが入院なんて珍しいわね」
ふと話題を切り出してみたが、二人は押し黙るばかりだ。
のび太さんが入院した事がそんなにショックなのだろうか?

病院の売店で武さんは梨アイスを、スネ夫さんは昨日発売されたばかりの漫画を、そして私はジュースを買った。
本当はもっとちゃんとしたものを買いたかったのだが、生憎学校帰りということもあって持ち合わせのお金が無かったのだ。
相変わらず二人は無言だ。その顔は険しく、まるで何かを押し殺しているような顔だ。

もしかして、この二人はのび太さんが襲われた事に関する何かを知っているのだろうか……?

のび太さんの病室の前に着いた。ドアを開けると、のび太さんは黒い服を着た若い男の人と話していた。
「じゃ、聞く事はそのくらいでいいな。昨日から今まで大変だっただろうが、ご苦労様。どうやら友達も見舞いに来たみたいだし、今日はこのあたりで失礼するよ」
若い男の人はそう言って部屋を出て行った。
「静香ちゃん、ジャイアン、スネ夫。来てくれたのかい?」
「おう、見舞いも買ってきたぞ。俺からは梨アイスだ」
「私はジュースを……」
「ボクからは昨日発売した漫画だよ。これを買おうとしてたんだって?」
「皆、僕なんかのために…… ありがとう、特にスネ夫」
その後は皆で他愛のない話に興じた。のび太さんはテストを受ける必要が無くなってうらやましいとか、いや、どうせ受けても0点だから大して変わらないだろう等々……
でも、何故のび太さんが入院したのかについてはいつまでも話題が出なかった。
だから私は言ったのだ。

「ねえ、のび太さんは昨日誰かに……」