憂鬱

 ドラ・ザ・キッドは、何気ない動作で煙草を投げ捨てた。
 辺りは一面見渡す限り、荒野が続いている。
 全てが枯れ、崩れていく世界。
「キッド!」通信機が怒鳴り始めた。「応答しろ!」
 キッドはため息をついて通信機を取り上げた。「こちらキッド」
「敵は近い……すぐ……失敗……」音波が乱れている。
 キッドは通信機を置き、次の煙草に火をつけようと、ライターを取り出した。
 カチッ。
 火が出ない。
 何度か試してみたが、諦めてライターを遠くへ放った。
 叢で何かが動いた。
 キッドは動きを止め、煙草を噛みながら様子を窺った。
 敵だ。
 衝撃波が、キッドの傍の焚き火を直撃した。
 火の粉が舞い、木片が飛び散る。
 キッドは転がりながら、空気砲を装着した。
 敵はもう一度撃ってきた。
 弾は、さっきまでキッドが座っていた石に当たり、粉々にした。
 キッドは、比較的大きな石の裏に隠れ、敵の位置を見定めようとした。
 敵が動いた。
 キッドが撃ったのは、一発だけだった。
 敵が呻いて倒れ、キッドはロープで男を縛った。
 通信機を取り上げて報告する。
「了解、すぐに逮捕班を送る。通信終了」
 タイムパトロールの仕事も、大分刺激がなくなってきた。
 キッドは煙草に火をつけようとし、ライターがない事を思い出した。
 同じ事の繰り返しだ。
 何の変哲もない世界へ送られ、目標を捕獲し、逮捕班を呼ぶだけ。
 ドラミにも、最近会っていない。
 ドラえもんズの仲間は、大半が死んだ。
 友達の死因すら、もう思い出せない。
 そして自分は今、何もない世界に唯一人存在している。
 逮捕班がやがて、犯人を連行していった。
 キッドは石に座ったままだ。
 風が、一陣の風が、彼の全身を撫でるように通り過ぎていく。
 彼は親友テレカを取り出した。
 仲間達が写っている。
 皆笑っている。
 キッドは手に力を込め、テレカを破り捨てた。
 友情は廃れ、消えた。
 愛情も廃れ、消えた。
 世界までもが、廃れて消えていった。
 もう何も残っていない。
 自分の存在すら怪しい。
 残るのは虚無だけだ。
 残っているのは、何も無いという事実だけ。
 やがて、通信機が悲鳴のような機械音を上げ始めた。
 煙が上がり始め、火が噴き出す。
 世界は疲れ果て、崩れ去ろうとしている。
 俺達は何をやっているんだ。
 キッドは立ち上がると、タイムマシンでタイムパトロール本部へ戻った。


「残念な知らせだ……ドラミさんが死んだよ。例の病原菌でな。全身が朽ちて……」
 同僚からの知らせにも、キッドは心を動かされなかった。
 ただ頷いただけ。
 頭の中では、キッドの名を呼ぶドラミの声がする。
 頭の中でキッドは、今はいない白馬のエドに乗っている。
 キッドが振り返ると、ドラミが走ってくる。
 桜が咲き乱れ、風で舞い、地面も空もピンク一色だ。
 ドラミは空気砲を差し出す。
 それを誇り高く掲げるキッド。
 幸福が二人を祝福する。
 そんな世界は終わった。
 キッドは空気砲を放り捨てた。
 警報が鳴り響く。
「汚染が発生しました。病原菌に侵された犯罪者が逃亡しました。感染拡大。非常警報」
 無機質な声が残酷な現状を、淡々と告げていく。
「黙れ!」キッドはスピーカーを破壊した。
 廊下に出ると、隊員達がパニックに陥り、走り回っている。
 混乱。
 恐怖。
「直ちに避難を開始してください」声が告げる。
 壁が朽ちて、腐って、枯れていく。
 キッドは外に出た。
 背後で本部が崩れ去る。
 脱出できたのは数人。
 その数人も、病原菌に感染して腐っていく。
 未来は荒野だ。
 俺達は何をやっているんだ。
 世界は消える。
 俺も消える。
 キッドは帽子を投げ捨てた。
 服も投げ捨てた。
 果たして、世界が朽ちていくのは病原菌のせいか?
 病原菌が、人の感情まで腐らせるのが可能か?
 否。
 憂鬱だ。
 憂鬱が病原菌なのだ。
 誰もが感染し、世界を破滅させた。
 そうだろう?
 きっと、世界は疲れすぎたんだ。
 疲れ果てたんだ。
 俺達の憂鬱に耐え切れなくなったんだ。
 俺達を見捨てたんだ。
 俺達は何をやっているんだ。
 キッドは、自分を投げ捨てた。
 これでお前とも、おさらばって訳さ。
 あばよ、我が友。